どうも前日(!)に失恋した衝撃が大きくて、何だか記憶がはっきりしないが、この『テンペスト』という劇自体も、個人的にいまいちうまく飲み込めない感じが強い。特に難解な内容ではないのだが、シェイクスピア最後の戯曲という事もあって、私にはまだ早すぎるのかもしれない。もっとも、失恋した翌日に芝居なんか観に来るなという声もあるが、演出にも、私には理解出来ない箇所が多かったように思う。 リハーサルという設定だから、舞台に入るともう和太鼓の音(ミュージシャンが練習しているのだ)が響いていて、俳優がウォーミング・アップしていたり、スタッフがうろついたりしている。蜷川氏は真田広之&松たか子の『ハムレット』でも同様の設定を踏襲していた。いわゆる入れ子構造というやつだ。主演の寺島しのぶは、客席通路をジョギングしたりしているが、演出意図を尊重できない観客からサインを求められて応じる一幕もあり(こんな光景は大阪公演だけかも)。 リハーサル(つまり本番、ややこしいな)開始と共に、激しい嵐のシーン。突風を受けて進む巨大な船の舳先が観客席に向いた大胆なセットだが、その上部をロープにぶらさがった役者がターザンのようにかすめたりと、いきなりもの凄い展開。難破したプロスペロー達が流れ着くのが佐渡ヶ島で、能舞台を使って物語が進行するという斬新な演出だが、船は完全に洋風である。かつて流刑地だった佐渡ヶ島には世阿弥が流された事もあり、そこで能に繋がってくる。世阿弥とプロスペローを重ね合わせているのかもしれない。 ここで、妙な囃子歌(みたいなの)を挟むやり取りや、能舞台の床下を使った様式的な動きや、面を着けた役者達の芝居などが展開するのだが、これが私にはどうもピンと来ない。キャリバン達なんて明らかに滑稽な歌と踊りなのだが、見た目通り素直に笑っていいのか、能が本当にそういう様式なのかがよく分からない。単に能に疎いせいかもしれないが、私が観た事のある数少ない能の舞台は、とてもこんなチャラけた動きが飛び出す雰囲気ではなかったと思う。エアリアルの松田洋治が、白い衣装で宙づりになってヒラヒラ飛んでいる姿もクリオネみたいでおかしいのだが、これも笑って良いのかどうか。悔しいが、結局よく分からなかったというほかない。無念である。だって、鈴木一真が出ていたのに、ほとんど覚えてないんだもん‥‥。 |