狂言は大好きで、何度か観た事があるが、生まれて初めて観たのが、昨年夏に上演されたこの妖怪狂言だった。人気ミステリ作家の京極夏彦が狂言を書き下ろしたという事で、これならと挑んだ伝統芸能だったが、それが殊の外おもしろくて、すっかりハマってしまった。狂言を知らない友人達にも観せたいと思っていたら、今年も同じ物を上演するという話をきき、私のごひいき、茂山逸平・茂山宗彦兄弟も出演するとあって、無理矢理友人達を連れて来た次第。 今までに観た狂言は全部ホールや劇場で行われたものだったが、今回は本物の能楽堂という事で気分も大いに盛り上がる。もっとも、気分が盛り上がりすぎて違う方向に行ってしまった人もいるようで、周囲を見渡すと、麦わら帽子に和服を着て独りで観に来ている中原中也みたいな細身の男性もちらほら見える。逆に、文楽(人形浄瑠璃)を観に行った時もそうだったが、中高生らしき女の子の集団がいたりするのも、我が国の伝統芸能がまだ若者の間で生きている事が実感できて、妙に嬉しかったりする。 さて、演劇もそうだが、作品というのは上演する度にどうしてもこなれてきてしまうもので、初演の時に面白いと思った細かい言い回しなどが、妙に親しみやすかったり現代的だったりする表現に直されていたりして、個人的には最初ほどの感銘は受けなかった。勿論、こちらが慣れてしまったせいもあるが、うまく狂言らしいムードを醸し出したかに思えた京極夏彦の台本も、今回はなぜか仕掛けの現代性が露呈してしまった印象で、同行の友人もしきりに台本の問題点に言及していた。 京極文学はたった一冊、『姑獲鳥の夏』しか読んだ事がないけれど、始まってすぐの所で登場人物が延々と講釈を垂れるのに辟易し、ふと見たら既に百ページ近く経過していたりして閉口した記憶がある。この人はやはり、圧倒的に“論理”の人じゃないかと思う(少なくとも、あの百ページは“小説”とは言えない。あれは、登場人物の口を借りた“論文”だ)。この公演は、前回も妖怪狂言の二作と古典一作の抱き合わせだったが、今回も最初に大蔵流狂言『二人袴』を上演。こちらは文句なしに大笑いである。やっぱり古典は凄いな、と思い知らされた一夜だった。 |