鴻上尚史という演出家は、私にはよく分からない。第三舞台の公演を観た事がないので、分からないのも当然だが、過去に観た映画の二作品も、私にはしっくりこなかった。演劇では、彩の国シェイクスピア・シリーズの一環として、蜷川幸雄監修の元で演出した『ウィンザーの陽気な女房たち』をテレビで観たが、ポップな雰囲気は出ていたけれど、全体としては??だった。 今回は、少年隊のヒガシと瀬戸朝香というキャスティングが面白いので観てみる事に。私は、顔の売れたタレントが古典的名作に挑戦するのを観るのが好きなのだ。小難しいと思われている優れた芸術を、みんながよく知っているタレントがどうやって自分流に噛み砕き、どうやって世間(特に作品をまだ知らない若い世代の観客)に紹介してゆくかに、大きな興味がある。ジャニーズやモーニング娘などのアイドル達には、シェイクスピアやチェーホフやギリシャ劇をどんどんやって欲しい。本人達も成長するだろうし、ファンや観客にとっても勉強になる。 冒頭、図書館のセット。中央に置かれた書棚から本がバラバラと崩れると、中世のイタリアが現れるという仕掛け。現代のシェイクスピア読者と劇の世界を瞬時に結びつける、秀逸なオープニングだ。ところが、その後はセットも演出もひたすら保守的。それでも、不必要に実験的な演出で劇世界を台無しにしてしまうような舞台よりはずっといい。ただ、主役の二人は懸命に芝居をしているものの、声が細く、なんだか大人しい。ド迫力の蜷川演劇ばかり観ているせいかもしれないが、これだと、全てが舞台の上の空間だけで細々と進行している感じで、こちらの胸には切実に迫ってこない。そんな中、ヒガシの身の軽さだけは格別で、二階のバルコニーとのやり取りや、舞踏会の場面など、ファン・サービス的な身のこなしで客席のご機嫌を窺う。ほとんどバレリーナみたいだ。 残念なのは、ラストに至り、舞台奥のスクリーンに戦争の映像が映し出された事。これは誠に遺憾である。モンタギューとキャピレット両家の争い、その犠牲となる若い男女の悲劇は、多くの演出家が現代の戦争とだぶらせて描いてきたものだが、それを、こうやってダイレクトに戦争のフィルムを見せたりせずにどうしたら伝えられるか、そこにみんな苦心して知恵を絞ってきた訳である。映像を流せば簡単だが、それをやっちゃおしまいだ。お言葉ですが鴻上さん、観客の知的レヴェル、芸術レヴェルは、そこまで低くはありませんよ。 |