再演に当たるこの近代能楽集、前回は気になっていながら関西公演は平日にほんの数日しか行われなかったので観る事が出来なかった。今回の再演は大歓迎。個人的に、三島由紀夫はあまり好きじゃない、といってもあまり読んだ事のない作家の一人だが、能の名作を現代的にアレンジしたこの短編集は、アイデア自体が面白くて割合好きな方だ(あくまでアイデアだけにだが)。 前半は『卒塔婆小町』。小町と深草少将の有名なエピソードが能になったものを、さらに三島が現代風にアレンジ(ややこしいな)。舞台は都会の片隅にある夜の公園。半円形に等間隔に並んだ五つのベンチには、しっかりと抱き合うカップルが五組(全て男性が演じている)。各ベンチにはそれぞれ街灯と木がセットで並べられている。フォーレ作曲の《パヴァーヌ》が流れ、暗闇の中からこの光景が現れると、思わず息を飲む。選曲も見事だが、視覚的なインパクトも相当なものだ。そこへ時折、ぽとり、ぽとりと、赤い花が落ちてくる。これは蜷川演出では定番の方。 ここで、かつて小町と呼ばれた醜い老婆(壤晴彦)と青年(高橋洋)による美醜の談義が繰り広げられ、過去の幻影も交えながらクライマックスへと一気に登り詰めるが、ほぼ二人だけの芝居によるこの山場への演技設計はとにかく見事。短い戯曲が、まるで音楽のように演奏された、という印象の内に幕を閉じる。気になったのは、休憩中に舞台の上に散らばった赤い花を、勝手にどんどん持ち去ってゆく観客の姿。大阪公演以外でもこういう事はあるのだろうか。スタッフも少しずつ花を片付けているが、なぜか舞台の端っこの方は後回し。見苦しいので早く片付けて欲しいとも思うのだが、スタッフは気付かないふりをしているようにも見え、逆に、暗黙の了解で「記念に持ち帰って下さい」とでもいう事なのだろうか。 休憩を挟んで後半は、藤原竜也主演の『弱法師』。法廷を舞台に、生みの親と育ての親が盲目の少年をめぐって争う話。気取って取り澄ましたわがままな少年が、両親達を散々振り回し、最後には半裸で激しく取り乱すまでを、これまた秀逸な演技設計でパワフルに描写する藤原竜也。彼が心の目で見る世界というのは、何となく想像できないわけでもないのだけれど、特に共感を覚えるという劇ではない感じ。三島由紀夫は、私とは正反対か、共通点の全くない人だったに違いない。 ラストで突然、むき出しの舞台裏が現れる演出もよく分からず。これこそ“この世の終わりの景色”なんじゃないですか、という意味だろうか。過去の蜷川演出には、最後に舞台奥の扉を開けて、劇場の外の光景を見せたり、登場人物がそのまま外へ歩いていったりというのもあったが、そのヴァリエーションの一つだろうか。私もまだまだ修行が足りないみたい。 |