オレステス

作:エウリピデス

訳:山形治江

演出:蜷川幸雄

出演:藤原竜也、中嶋朋子、北村有起哉、香寿たつき、田村真、吉田鋼太郎、瑳川哲朗、他

2006年10月14日 大阪、シアター・ドラマシティ

 関西では久々の蜷川ギリシャ劇。V6の岡田君が出た《エレクトラ》も大竹しのぶ主演の《メディア》も関西公演がなかったので、野村萬斎の《オイディプス王》以来になる。《エレクトラ》は《グリークス》の中でも描かれていたエピソードだし、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラがあったりして有名だが、これはその後日談。夫を謀殺した母親を許せず、姉のエレクトラと共謀して殺してしまったオレステス。母殺しという大罪ゆえに精神を病む弟を嘆きつつも、献身的に看病を続けるエレクトラ。そんな彼らに下される死刑判決、開き直った彼らが新たに企てる復讐と、神アポロンによる裁き。

 大作《グリークス》以来、女性のコロスをよく使っている蜷川御大だが、今回も女性15人によるコロス。コンビニでも売っている透明なビニール傘を持たせていて、これが黒の衣装に案外よく映える。なぜ傘なのかというと、今回の演出、断続的に雨が降り注ぐのである。

 冒頭、打楽器による荒々しい音楽と共に、暗闇の中からシャアーっという音。舞台が明るくなると、いきなり雨が降っている。中央の巨大な扉に描かれた、禁忌を表すがごとく大きな×。隅っこのベッドに横たわる藤原竜也の傍らで、すっくと立ち上がった中嶋朋子が、低く、太い声と、格調の高い朗読調で、ものすごい長ゼリフ。ああ、芝居っていいなあと思う瞬間である。シェイクスピアやギリシャ劇にはよく、こういう、天に向かって朗々と語り続けるようなモノローグがあり、いつもカッコいいなと思う。

 そこへ客席通路から登場するコロス達。起き上がり、狂乱するオレステス。突如として人格が豹変し、暴れ回る藤原竜也のパワフルな芝居は凄まじく、やっぱりこの人うまいなと圧倒される。嘆き合う二人に注ぐ雨、傘を差して遠巻きに眺めるコロスの一群、という構図はまるでシュールな絵画のようで、見た目にも美しく、不思議。そこへ、ヘレネやメネラオス、テュンダレオスと、次々に人が出入りしてオレステスと激しい論戦を繰り広げ、ついに彼らの命運も尽きたかと思われる頃、颯爽と登場するピュラデス、北村有起哉のスゴい事、スゴい事。。

 私はこの人、初めて観るのだが、ちょうど携帯画像の流出で人気女優とスキャンダルになっている最中なので、どんな人なのか気になっていた所。とにかく声が野太く、大きい。それから、所作がユニークでかっこいい。半ばアドリブだと思うが、しばしば予測不能のはしっこい動きをする上に、どこか不良っぽいというか、子供みたいにふてくされた雰囲気があって、現代的で型にはまっていないのが、なぜかギリシャ劇にもしっくりくる。ジェームズ・ディーンみたいな天才肌の俳優かも。特にオレステス姉弟が、地の底に向かって亡き父に加護を求めた後、続いて私も、と荒々しい調子で祈りの言葉を叫ぶ彼の迫力といったら! ものすごい声量と表現力。今後、大いに期待したい役者さんだ(スキャンダルなんかに負けるな! でもケータイは無くさない方がいいよ!)

 それに続いて、復讐のためにヘレネの部屋に乗り込んでゆく場面の、猛々しい迫力と高揚感は相当なもの。これには、池田知嘉子によるプリミティヴな音楽も大きな効果を発揮しているが、人間が持っている根源的、動物的な本能に火をつけるようなこの劇は、まったく凄いものだと思う。私にしてみれば、この作品のクライマックスはここに尽きるというか、いわゆる“機械仕掛けの神”が解決する大団円は、ひたすら不条理で、腰が据わらない印象。演出家もこれには納得できなかったようで、アメリカ国歌や現代都市を思わせる効果音が重なる、いかにも彼らしい過激なエンディングを最後に加えている。客席にもイスラエル国歌やなんかが書かれた大量のビラが雪のように舞い、とんでもないスペクタクルが現前する内に幕。

 ギリシャ劇はやっぱり好きだ。何かに向かって一直線に突き進むような、息も付かせぬスリルと迫力があって、一瞬たりとも気が抜けない。それと今回の演出は、コロスの扱いが素晴らしい。ささやくような小声で喋ったり、大いに嘆きながら、手を繋いで輪になってゆっくり回ったり、激しく取り乱し、客席通路を走り回ったり、とにかく変化に富んでエネルギッシュ。演じる女優さんたちも、個々の自発的な振りとか、朗唱の迫力とか、ソロの芝居とか、全てが感動的で、集団でありながらも一人一人の個性が際立つコロス。しかも言葉が明瞭に聴き取れる。コロスは、セリフがよく聴き取れない時もけっこう多いので、これには感心。もの凄い劇を観たという深い充足感と共に、家路についた。

まちこまきメモ

 ギリシャ悲劇には、必ずコロスが登場する、最後は神の一声で大団円となる、などいくつかの決まり事があって、現代人がなんも知らずにいきなり観ると、「なんじゃこれ???」となると思う。紀元前に作られたお芝居で、人間と神との距離が、現代では考えられないくらい近い。だからといって、現代からかけ離れたお話かといえば、驚くくらい現代と同じことで人間が悩み苦しんでいる。蜷川劇を観るまでは、ギリシャ悲劇についてこれっぽっちも知らなかった私だけど、ちょっとずつ知っていくと、なかなかおもしろくなってきた。

 蜷川さんの舞台ではよくあることだけど、最初のシーンで、もうすでに、生きるか死ぬかの崖っぷち状態で始まる。雨の演出が、さらに極限状態を際立たせ、さっきまで梅田の街をのほほんと歩いていた私も、ただならぬ劇が始まったとすぐに感じた。藤原竜也は、蜷川さんに見いだされてから、10年たったとか。彼の舞台を生で観るのは3回目だけど、今までの中で、一番力強さを感じた。新しい発声法を、蜷川さんに無理矢理(?)仕込まれ、確実にスケールアップしている。まだまだ若くて、まだまだ進化し続けてるってことは、これからどうなっちゃうんだろう。ぶるぶる。

 女性コロスの15人ほどの団体の演出も素晴らしい。時々コロスの動きに合わせてどこからともなく鈴の音がするな、と思っていたら、劇中盤になって、それぞれが持っている傘に、鈴がついていることに気付いた。ナイスアイデア!(もっと早く気付いて! でも龍之丞氏は最後まで気付いていなかった。)コロスたちが、輪になって回るシーンは、まるで、私の好きなマチスの「ダンス」を見ているようで、一人にんまり。

 蜷川さんの舞台や映画を観ていてつくづく思うのは、人間って復讐の生き物なんだってこと。紀元前からそうなんだから、認めざるをえない。最後に神が現れて、あっという間に問題を解決して終わる展開には私も違和感を感じたけど、後でパンフレットを読むと、「人間の力だけでは殺し合いは終わらすことができない、現実にも神が現れて、突然平和が訪れないだろうか、という人間の願いが込められているのでは」という内容の解説を読み、深く納得してしまった。

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