『天保十二年のシェイクスピア』に続く井上ひさし×蜷川幸雄の第2弾は、1973年の初演以来世界各地でも高い評価を得ているという異色作『藪原検校』。盲目の悪党ばかりが登場する豪快なピカレスクながら、軽妙なユーモアと歌に溢れた、何とも不思議な劇。私は井上作品自体が全く初めてなので、どういうものか全く知らずに本番に臨んだが、これが無類の面白さでびっくり。 本番が始まり、舞台が真っ暗に消灯されると共に、甲高い笛の音が響き渡る。続いて三味線の演奏が始まったと思いきや、舞台袖が明るくなると実はこの生演奏、ギターだった。継ぎはぎした雨戸でコの字型に囲まれた舞台に、これも盲人の語り手(壤晴彦)が登場。この語り手が全編を通じて喋る喋る、登場人物のセリフの合間に用語の解説まで行なったりするので、とにかくものすごいセリフ量。ギター奏者と語り手が舞台袖で物語の進行を司る所は、まさに文楽の三味線奏者と太夫を彷彿させるが、これは明らかに狙った構図と思われる。井上ひさしはブレヒトの影響なども受けているというが、伝統芸能の要素を随所に盛り込む姿勢も強く感じられる。 主演の古田新太はもうこれこそ適役と言わんばかりに巧いけど、前半にある長丁場の早物語は圧巻。台本では12ページもあるそうだが、これがとんでもない長さで、終わった瞬間に客席から喝采が起こった。さらにはミュージカルばりに歌も満載で、セリフの途中から突然歌に変わったりもするが、この辺りの確信犯的な効果は、ミュージカルの不自然さへの拒否感情を露に示したヴァイル/ブレヒトの音楽劇と共通するセンスを感じる。極悪非道な内容でやたらと卑猥な歌詞も強烈だが、この歌詞や各章のサブタイトルがいちいち左右の電光掲示板に文字で表示されるのも独特の手法。曲はロックンロールだったり、フォーク調だったり、どれも底抜けに明るい。 台本の指定どおりという事で、各俳優が一人何役もこなすので、今回は蜷川作品にしては異例の少人数公演(役者10人とギタリスト1人)。それだけに濃い面子を揃えたのか、一癖も二癖もあるキャスティングに唸らされる。段田安則と田中裕子はかつて他の舞台で見た事があって、その時の印象は線が細くて必ずしも良くなかったのだが、今回は二人とも素晴らしく、芸達者ぶりを発揮してすごい迫力。みんな、対照的な性格の役も次々とこなしているが、遠目に見ていると同じ役者さんが衣装を替えて出て来ているのに気付かなくて、後でパンフレットで確認してびっくりしたりもする。 悪党の物語らしく、シェイクスピア作品同様、最後はやはり主人公の処刑で幕。思わぬ大仕掛けに度肝を抜かれたが、最後まで明るく歌で終わっていく所も凄い。蜷川演出の下層民衆へのこだわりも徹底してきた感じがするが、私のような、下層民衆の一人でありながらも、特に体制への激しい憤りや闘争心を持たない現代っ子としては、こういう強いパワーを前にするとひたすら畏れ入るといった感じ。カーテンコールには演出家も登場。いやに客席も盛り上がるなと思っていたら、今日は千秋楽だった。 |