ニナガワ・シェイクスピア、オール男性キャストによる喜劇シリーズ第1弾として話題を呼んだ『お気に召すまま』が待望の再演。先行予約の日を失念していて、以後は一般発売も追加発売も全て買えなかったチケットだが、当日券窓口に一時間並んでギリギリ買えたという奇跡の観劇。私達の後ろに並んでいた人達は残念ながらアウト。原作はまだ読んでなかったが、この劇はコメディというよりもっと感動的なドラマで、少なくとも『間違いの喜劇』や『恋の骨折り損』のドタバタ調とは一線を画す内容。蜷川幸雄も「シェイクスピア喜劇の中でも良いシーン、良いセリフの多い戯曲」と言っているが、同感。一回観ただけで早くも大好きな作品になった。 まずは怪し気な音楽と共に、後部扉から出演者が走って登場。しかも私服。客席通路を通って舞台に集結すると、黄色い歓声が湧き起こる。これだけで、客席のほとんどが成宮君とオグリンのファンだという事が分かる。それでも舞台にオグリンが一人残り、役の衣装にさっと着替えてセリフを喋りはじめると一瞬にして静まり返る。案外に行儀の良いお客である。まずもってこの戯曲全体に溢れる、暖かくて優しい雰囲気は、この主人公オーランドの心根の優しさに由来する。報告にやってきただけの使いの者にも深い友情を示し、疲れて歩けなくなった老召使いを背負って、食べ物を調達してきてやるオーランド。彼が家の者みんなから愛されているというのは、よく分かる。ところが彼は、それゆえに公爵の妬みを買い、森に逃げ込む立場に陥ってしまう。 オーランドの身の上を見知った前公爵(彼も森に追われている)が仲間達に吐くセリフは、何百年も前に書かれたとは思えないほど普遍的「どうだ、不幸なのは我々だけではない。この広大な世界という舞台の上では、我々が今演じているよりもはるかに悲惨な芝居が演じられているのだ」。いいセリフ、いい場面は他にもたくさんあるが、シルヴィアスの「恋とはため息と涙でできてるものなんだ」という切実なセリフもいいなあ。喜劇なのに、何度も涙が溢れた。 小栗旬は『間違いの喜劇』の時と較べても遥かに自由で生き生きとしている感じ。見た目にもはっきり力強さが増した。成宮君はまだそんなに売れてなかった頃『ハムレット』でフォーティンブラスを演じていたので、私はそうと知らず一度観ているわけだ。今回は男に変装する女役という、シェイクスピア一流のややこしい役どころだが、体の使い方が抜群に上手く、見事に演じ分けていて拍手。ただし、セリフが早口過ぎて所々ろれつが回らなくなる。もっとゆっくり喋ってもいいのに。今回は、蜷川組常連の妹尾正文を中心にギター伴奏で歌をうたうシーンが幾つかあるが、この歌がまた、しみじみとして凄く良い。 セット美術は、舞台の上に巨木群がうねるダイナミックかつ美しいもの。舞台を大きく横切る木の幹を俳優が登って歩いたりもする。また、場面ごとに照明の角度が変わる事によって、森の中の違う場所に移動したみたいに見えるのも驚きの発見。衣装や小道具もさすがだが、生きた羊が登場して、出て来るたびに客席の注目をかっさらう。本物が持つ力ってやっぱり凄いもんだ。音楽は今回も笠松泰洋だが、この人は叙情的な場面にいつもパッド系シンセの和音をダラ〜っと流す。毎回同じで新鮮さがないし、たまには旋律的なアプローチを採ってはどうかとも思う。総体的に蜷川演劇では、この人や宇崎竜童より、他の人が音楽を担当した時の方が数段印象的に感じる。 |