蜷川幸雄による『オセロ』は13年ぶりの再演との事。旧演出の方はテレビ放映で見たが、顔を黒く塗った松本幸四郎がタイトルロール、木場勝己がひょうひょうと軽いイアーゴを演じ、黒木瞳のデスデモーナが宝塚歌劇を彷彿させる大階段を上ったり下りたりしていた以外、あまり印象に残っていない(後でパンフを読んだら演出家自身「あれはひどい演出だった」と述べていた)。今回は、私達夫婦が揃って大注目の蒼井優ちゃんがデスデモーナを演じるというので楽しみにしてきた次第。 結果は大感動。私は『オセロ』があまり好きではなく、なぜこれがシェイクスピア四大悲劇だか何だかに数えられているのか全然分からなかったのだが、今回の舞台を観て、初めてこの劇に共感した。要するに今まではこの劇、単に“頑固で一本気な武将が腹黒い側近に騙されて嫉妬に狂い、無実の妻を殺してしまう”話にしか見えなかったのだが、蜷川演出では、オセロもイアーゴも共にマイノリティで虐げられた存在で、言動のはしばしに鬱屈したコンプレックスが見え隠れする。オセロがまんまと罠にかかってしまうのは、彼が単純で馬鹿なのではなく、白人社会で成り上がった黒人武将という複雑な立場が大きな要因になっている仕組みだ。私はここに全然着目していなかった(そこに主眼を置いた演出も見た事がなかった)。さらにこれは全く気付いていなかったが、イアーゴが又、エリート主義的な社会からの落伍者で、彼の憎しみと復讐心はオセロ一人にではなく、社会全体に向けられている。同じ原作で同じセリフを喋らせながら、こうも解釈が違って見えるとは、演劇ってやっぱり奥が深い。 最近の蜷川演劇は、役者の芝居がまた少し変わってきた感じがする。ニュアンスが多彩で、変化に富んでいる。まず、のっけから舞台に登場するイアーゴの高橋洋がすごい。ロダリーゴとの冒頭のやりとりは全て囁き声。それにこのイアーゴ、全編を通じてほぼこの、押し殺したような低い声で静かに喋る。でも、何かを抑え込んでいるように声を震わせる様子もあって、そこに込められた複雑な感情は、誠に暗く、激しい。得体の知れない感情が内面で渦巻いている感じ。しかし舞台に一人残った彼が、復讐の決意を観客に向かって独白するに至り、突然「うおおおおおお〜!!!」と腹の底からの雄叫びが爆発。客席を震え上がらせた。私も度肝を抜かれたというか、全身が総毛立った。新しいイアーゴが誕生した瞬間だ。 吉田鋼太郎も、蜷川作品では何度も観ているが、今回はまた違ったリズムと抑揚で自在の境地。やっぱりうまいなあ、と思う。しかも、めっちゃいい声。つるっぱげにミニ・モヒカンみたいなヘアスタイルで、従来のムーア人のイメージ(顔を黒く塗る)と決別。蒼井優ちゃんは蜷川作品には二度目の登板。『アニー』でデビューして以来、舞台にはよく立っている人なので、声がよく通る。しかも、すごく澄んだ、綺麗な声。デスデモーナって、そんなに面白い役柄とは思えないし、過去の舞台でもあまり印象に残ってないけれど、今回のは良かった。特に、侍女エミリアとの関係がいい。柳の歌をめぐるやりとりは、何だかとても泣けた。エミリアの馬渕英俚可も、スカウト・キャラバン出身で名前だけは何度も耳にしていたが、今は舞台中心にかなり活躍している女優さん。発声や佇まいがベテランのようにしゃんとしている。こうやって見ると、デスデモーナよりエミリアの方がいい役のような気が‥‥。 舞台美術はシンプルで、巨大なライオンの壁画とか、これまた巨大な天蓋付きベッド、ゴンドラを繋ぐ運河沿いのポールの列(一つが象徴的に傾いている)とか、所々にヴェニスらしいイメージは出て来るが、あとは正面と左右の長い階段を使ってほとんどのシーンを展開。場面転換のたびに聴こえてくる波の轟きが、直接舞台上には現れない海の存在を意識させる。音楽は、かみむら周平という人。初めて聞く名前だが、蜷川作品の場合、新しい人が音楽を担当すると結果がすごく良い。この人も表現の幅が広く、物悲しい旋律も聴こえてきていい雰囲気。続投して欲しい。 |