蜷川幸雄による『リア王』は9年ぶりで、日本人俳優によるヴァージョンは初との事。前回は名優ナイジェル・ホーソーンが主演、真田広之が道化を演じた事でも話題になった。今回はベテラン平幹二郎がリアを演じるが、コーディリアに内山理名、道化に山崎一など、なかなかユニークな配役。長女の銀粉蝶は勿論の事、次女のとよた真帆も予期していた以上に貫禄たっぷりの堂々たる悪女ぶりで、舞台初出演の内山理名はちょっと食われてしまった感もあり。発声はしっかりしていて申し分ないのだけれど、セリフ回しが時にオーバーというか、妙に時代がかって見える瞬間があって、「頑張ってます」という雰囲気がよく伝わるだけに、少々違和感もあった。 山崎一はお堅いサラリーマン風の役が多いけど、こういう人を道化に持ってくるキャスティングは面白いと思った。それにしても今回観て思ったが、道化ってこんなに出番が少なかったっけ。もっと全編喋りっぱなしのイメージがあったけれど、案外後半には登場してこない。すごく上手いのが池内博之。この人は発声もセリフ回しも素晴らしい。シェイクスピアの醍醐味みたいな悪役エドマンドを生き生きと演じている。対照的なエドガーは高橋洋。ものすごく普通の青年としてさらっと登場して、後にフルテンションで別人格になりすます所、さすがの芝居。盲目となった父親を別人のフリで道案内する所で、涙がボタボタ落ちていたのが印象的だった。それにこの場面、夕景をバックにスローモーションで移動する二人の人物、それにかぶさるもの悲しい音楽に能楽の笛とかけ声、これは最近みた蜷川演出の中でも、際立って幻想的で美しいシーンだった。 逆に、話に聞いていた、岩が降ってくるという演出、ハリボテの巨岩が落ちてくるのかと思ったら、ビニールの黒い枕みたいなものがペタンペタンと落ちてきて、ちょっと興醒め。セット美術は全体に和の趣で、松が描かれた板の背景や、桜の木などが登場。それにしても、『リア王』に関してはどうも私は鑑賞下手というか、結構色々な演出で観ている割になかなかしっくり来たためしがない。今回は蜷川演出なら、と期待したのだが、やはりこの戯曲、様々な要素が複雑に入り組んで、作品全体としての充実感を味わいにくい感じがした。シェイクスピアはやはり一筋縄ではいかない。ただ、リアの死の場面は、高橋洋と瑳川哲朗の、静と動という対照的だけどそれぞれに感動的な芝居によって、熱い涙を誘われた。 |