今年は蜷川演劇の関西上演が少なく、シェイクスピアは4月の『ヘンリー六世』とこれだけ。一時期は年に9公演もあったので、だいぶ落ち着いた感じだが寂しい気持ちもする。先日、文化勲章を受賞した所だから、さらにどんどん活躍してほしい。 本作は原作を読んだ時、何が何だか分からなかった。似た名前がばんばん出てくるのに、主従が入れ替わり、変装したりするものだから、活字だともう設定が把握できない。しかも、枠物語になっている筈の酔っぱらいのエピソードは最初だけで、それ以後ラストまで読んでも全く出てこない(じゃあ、いらんやん!)。男尊女卑の問題を云々にする以前に、劇として穴だらけなんじゃないかと思うんだけど。 果たして、実際の舞台は活字で読むほどには複雑ではなく、劇の不条理を役者の芝居で吹っ飛ばすようなパワフルなものであった。舞台はスペインかどこか南国の香りのする建物の前面で、枠物語のオープニングが終わった所、アコーディオンと打楽器、サックスの生演奏に導かれて本編の役者達が登場、いきなりスカのリズムで踊り狂うが、その中に歯を剥き出しにしたテンションの高いオッサンの姿あり。まさかあれが筧利夫じゃないだろうなあと思っていたら、正にそれは彼であった。 要するにこの舞台は、全編に渡って筧利夫の激烈なペースで牽引されてゆくもの。猛烈な早口と日本語の自然な抑揚を無視したようなイントネーション、小劇場的な身体表現でコミカルにデフォルメされた彼のラテン系っぽい芝居が、他の役者を引っ張る格好で出来上がっている。ペトルーチオは最初から完全に異常な人間に造形されていて、それによって女性蔑視的な物の見方を完全に脇に追いやってしまう。蜷川氏は「この劇を見てフェミニストが怒るのは読み間違いだ」と言っているが、これはこれで極端なような。セットはボッティチェリの絵が描かれた背景があるだけで、至ってシンプル。演出家も役者達の個性を全面に押し出す事に決めたみたい。 亀治郎氏は歌舞伎の表現をパロディ的に盛り込んで、客席から大いに受けをとっているが、主役は完全に筧利夫がかっさらった印象。若手人気俳優では山本裕典がなかなかの発声と滑舌で頑張っているが、今回は強烈な主役がいるので損な役回りだったかも。パフォーマンスがことさら見事な舞台だっただけに、客席のスタンディング・オベーションも説得力あり。 |