ミシマダブル サド公爵夫人/わが友、ヒットラー

作:三島由紀夫

演出:蜷川幸雄

出演:東山紀之、生田斗真、平幹二朗、木場勝己、大石継太、岡田正

2011年3月12日 大阪、シアターBRAVA !

 現在の所、関西での蜷川演劇の公演予定は、今年はまだこのミシマダブルのみ。年々減っている印象で寂しい感じがする上、寺山修司や三島由紀夫、井上ひさしと、日本の作家ばかりというのも、まあ良い事ではあるのだろうけど、やっぱり物足りない。ジャニーズの人気タレント二人を迎えてミシマのディープな世界を展開しようとは、いかにも蜷川幸雄らしい倒錯した企画。蜷川演出でなければまず観に来なかったという私同様、ヒガシや生田斗真のファンじゃなければまず来なかったという人も多いかも。その意味で、演出家の目論見は成功かもしれない。

 三島由紀夫が対に構想して書いた二つの戯曲を、同じ出演者、同じセットで一日に上演。片や女性ばかり(例によって女装)、片や男性ばかりの劇であるが、会場でスケジュール表を見てびっくりしたのが、劇の長さ。昼と夜、一日に二公演もやるのだから、当然短めのちょっとしたお芝居かと思いきや、どちらもひと幕一時間の三幕物、休憩入れて三時間半、ダブルで七時間という長丁場である。これには驚きを通り越して怒り心頭。いい加減にして欲しい。いくら豪華キャストでも、いくら蜷川演出でも、こんなの役者もスタッフも観客も大変で、誰にもいい事がない。

 それなら昼も夜も早めに始めればいいものを、どちらも遅めのスタート(前半が13時、後半が19時)なので、オール終了が夜22時半である。私達はぎりぎり大丈夫だが、家に帰れない人も出てくる時間だ。疲れてくる上に眠くなってきたりもして、観劇のコンディションとしても最悪。蜷川演劇は『グリークス』や『コースト・オブ・ユートピア』など極端に長い劇を板に上げる事も多いが、上演の形態には配慮を求めたい。まして今回は出演者も少人数で内容も会話劇、絶望的なまでに変化に乏しい。

 まずは、昼間の『サド公爵夫人』。これは拷問そのもの。劇が終了して街へ繰り出すと、周囲の女性グループが「苦行や〜」と愚痴っていた。確かに苦行以外の何物でもなかった。木場勝己もインタビューで言っているが、この劇にはほとんど筋がなく、舞台に登場しないサド公爵に対する意見を女性達がわあわあ言っているだけの会話劇である。

 バッハのマタイ受難曲を使った冒頭(この序奏部コラールは、元々劇的ムードが強い曲なのだ)にはさすがに演劇的興奮を感じたが、バラバラのセットが動きながら出来上がってゆく演出も、能楽をミックスする音響手法も、既に過去の蜷川作品で何度も体験済み。二幕目はモーツァルト、三幕目はフランス国歌で開始し、後は時代も国もバラバラの曲をパッチワーク、マーラーのアダージェットだけ重複して使うなど、思いつきの域を出ない選曲。最後にセットがなくなってむき出しの舞台を見せる演出も、もう何度も見た。難解な長ゼリフで構築された劇の事を思うと、役者はみな力演で涙ぐましいくらいだが、残念ながら演劇は、役者の大変さに同情するのが目的の芸術ではない。ひとえに悪いのは演出家だ。スタンディング・オベーションがちらほらあったが、こんな劇に賛辞を贈るべきではない。

 夜の公演まで時間が空くので、京橋でどうやって時間を潰そうかと思っていたら、劇が終ったのがもう五時前で、食事をして劇場に戻ってきて丁度良いくらいの時刻だった。夜の公演は『わが友、ヒットラー』。冒頭、音楽が違うだけで『サド公爵夫人』と全く同じ始まり方をしたので、「またかよ!」と叫びそうになったが、こちらの劇は良かった。全編に張りつめた緊張感があるし、物語も前に進んで求心力あり。役者の能力も存分に引き出されている様子。

 舞台奥のテラスで、生田斗真演じるヒットラーが客席に背中を向け、見えない群衆に向かって演説をしている。その傍らにヒガシ演じるレーム。舞台の上は室内という事になるが、そこに平幹二朗が現れてレームの背後のドアを杖で何度か叩くと、音に気づいたレームがゆっくりと後ずさりし、部屋に入ってくる。この間のヒガシの身のこなし、全くもってお見事。金髪のカツラに軍服という見た目以上に、身体の動きがもう軍人そのものという感じである(本物の軍人を見た事ないけど)。

 女装をしていた『サド公爵夫人』では最初、どちらがヒガシでどちらが生田君か分からなかったくらい没個性的だったが、この『〜ヒットラー』では役柄に強いコントラストがあり、見応え十分。しかも二人共、テレビで見るイメージとは全然違う役柄(錯乱気味の精神状態で親友を裏切る戦略的政治家と、友情と理想を直情的・盲目的に信じる筋金入りの軍人)で鬼気迫る熱演を繰り広げ、大御所過ぎる大御所・平幹二朗と木場勝己、それぞれとのやり取り(この劇はほとんどの場面が二人芝居)は息を飲むほどスリリング。こちらは私達もスタンディングしたが、時刻が遅いのでそのまますぐ会場を出た。もうコリゴリです。

 

《追記》

 この公演の前日に、東北で大地震が起きました。こんな時に劇を観ていていいのか、でも自分たちに今できる事は何もない、そもそも災害全体の状況がまだ入ってこず、前夜のニュースは東京で交通機関が麻痺し、帰宅難民で溢れているというものばかり、という事でぎりぎりまで逡巡しました。公演が中止であれば悩む必要もなかったのですが、主催者に電話確認した所、「行う方向で進めております」との事。

 当たり前かもしれないですが、関西の街角は落ち着いていました。神戸の震災では私も被災しましたが、電車で30分の距離しか離れていない大阪はほとんど無傷で、在阪の友人もさほど影響を受けてはいないようでした。今回も、梅田の百貨店はホワイトデーの買い物客で賑わっていました。今回の被災地でも、ほんの少しの場所や行動が明暗を分けたようですが、それはつまり、災難は誰にでも起こりうる事を表しています。それが“たまたま”起こってしまった方々の事を、“たまたま”難を逃れた私達は決して忘れてはいけないのでしょうね。

まちこまきメモ

 長いお芝居で、三島由紀夫の世界は全然わからないし、コンタクトを入れた目はギンギンに乾燥するわで辛かった。しかし、夜の部の「わが友、ヒットラー」はおもしろく、途中から自然と目も潤いを取り戻し安堵。東と平幹二朗のお芝居を生で観るのはそれぞれ2回目だったが、二人とも前回よりも全然良かった。生田斗真も思いもよらず良くて驚いた。台詞も動きも素晴らしい。これからどんどん演劇界を引っ張っていってくれそうだ。

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