今年初の演劇鑑賞。ニナガワ・シェイクスピアは5月にシンベリンがあったが、近年の蜷川演劇はチケットの値段が高騰しており、よほど興味のある物以外は取捨選択が必要になってきている。今回は文句なしに注目度ナンバーワンの舞台。夫婦揃って村上春樹ファンである上、キャスティングもユニークで、久々に期待してホールへ足を運んだ。 原作は複雑で深淵、春樹作品の中でも特に謎の多い小説で、一体どうやって舞台化するのか興味津々だったが、台本が非常に良く出来ていて、演出もイマジネーション豊か。最近の蜷川作品では出色の出来映えという印象。ナイーヴな優しさもある村上春樹の世界は、攻撃的で激しい蜷川幸雄の世界の対極に見えて、実は現実と非現実の共存、暴力描写や性描写の手加減のなさなど、意外に親和性が強いと感じた。 セットが分割されており、それがフロートに乗せられて動きながら、パズルのように組み合わさって各場面のセットを構成するのは、近年の蜷川演出の常套手段。カフカが水槽の中に横たわって登場するのも、映画『青の炎』辺りからはじまった、この演出家の水槽への執着を如実に表している感じ。後半で重要な舞台となる四国の深い森も、現実的なバス・ターミナルや風俗街、そして静かな山奥の図書館まで、分割セットで見事に表現されるのが凄い。 ナカタさんと猫が喋る一連の場面は、一体どうするのかと思っていたら、着ぐるみに役者が入って登場。最初は猫たちのデカさに笑ってしまったが、考えてみればこれ以上シンプルで最適な手法は考えられないかも。一方、ジョニー・ウォーカーの猫殺害場面は、原作で読んだ時はあまりの凄みに震え上がったけれど、舞台の上で視覚化されるとさほどではなく、改めて春樹の文章力の凄さに驚いた次第。 ギリシャ悲劇“オイディプス王”(蜷川幸雄得意の演目)をなぞった物語は、原作を読んだ時はそれほど意識しなかったけど、映画『偶然の旅行者』でアカデミー脚本賞にノミネートされた俳優/演出家フランク・ギャラティの台本は、見事にオイディプス王のプロットが透けて見える構成。それでいて、小説の豊穣なディティールを手際良くまとめ、舞台上に展開するのはさすが。原作に何も付け加えない忠実な舞台化なのに、原作を分かりやすく紐解いてゆく趣もあり、最後まで退屈させない。 演出が又、場面転換やイメージの飛翔など過去に培ったノウハウを駆使し、奇をてらわずに全てを語り尽くす秀逸なアプローチ。多次元的でパラレルな村上春樹の世界を、視覚的に解釈したらこうなりました、という感じ。音楽は、既成の曲なのかどうか、男性ヴォーカルの洋楽が多用されて春樹文学っぽさもあり。マーラーやワーグナー、プッチーニの歌劇《ボエーム》など、内容と連動したクラシックも随所に引用。逆に、佐伯さんのかつてのヒット曲は物悲しい童謡みたいに作曲されているが、イメージ的にはポップソングじゃないと違和感があるような。 唯一引っかかったのは役者で、舞台初出演の柳楽君と田中裕子は声が小さく、線の細さが気になるし、長谷川博己に関してはいつも思うのだけど、早口で滑舌が悪く、セリフが聴き取り難い。その点、木場勝己や高橋努は安定感抜群。面白いと思ったのはサトエリで、テレビドラマにも通じるような日常的な芝居を飄々と展開するのだけど、それがなぜかリアリティ抜群で、彼女が喋り出すと「ああ、舞台ってナマモノなんだなあ」という妙な説得力が生まれる。演技が(良い意味で)安定してないというか、ライヴ的な生身の存在感がすごくあるからかも。 |