シェイクスピア全37作品上演に挑戦中の平幹二朗主宰、幹の会プロデュース公演。『リア王』の舞台を観るのは初めて。巨大な哀しみに満ちた重厚な劇で、個人的にはちょっと苦手な感じもあるが、物語の骨子は非常に力強く、シンプルなもの。寓意性も高く、黒澤明監督も映画『乱』のベースに使っている。軸は老王と三人の王女による民話風の遺産相続話なのだが、老人問題に端を発して大トラブルに発展した末、財産も何もかも剥奪された単なる老人としてのリア王が、荒野をさまよい、嵐に立ち向いつつ、人間の尊厳を天に問う所、いかにもシェイクスピアらしい洞察力を感じさせる劇になっている。 さらにそこへ、リアにくっ付いて回りながら、老王を嘲笑しつつも同情を示すお抱えの道化師が重要なポジションを占めてくるから、悲劇と喜劇がミックスされたようで、観客としては感情の置き所がややこしくなってくる。この辺りが、個人的に『リア王』をうまく消化できないでいる主要因なのかも。複雑な表現ではあるが、確かに人間の多面性が如実に示されているみたい。 演出の栗山民也は、小劇場から大劇場まで、いろんな公演でよく名前を見かける人(観るのは初めてだけど)。オープニングで、主要人物達が中央に向かってバタっと五体投地するのにはびっくりしたが、基本的には奇を衒わない正統派演出。周囲を暗闇が覆う舞台に風の音がかすかに聞こえてくるようなシチェーションは、確かに作品にぴったりかも。実力派の役者さんばかりなので、陰惨な場面が多いこの劇では大変な迫力。役者が一人舞台に残り、感情豊かな独白を繰り広げる所はシェイクスピアの醍醐味でもあるが、こういうのをみると、ああ、演劇っていいなあとしみじみ思う。こればかりは、映画では味わえない。ただ、登場人物がバタバタと死んでゆくという、ある面ではいかにもシェイクスピア的なラストに至って、この劇はやっぱりちょっとシンドイなあと、若干の疲労感も覚えながら劇場を後にした。 |