ロミオとジュリエット

作:ウィリアム・シェイクスピア

訳:松岡和子

演出:蜷川幸雄

出演:佐藤藍子、大沢たかお、二宮さよ子、渡辺哲、片桐はいり、団時朗

   松田ケイジ、大川浩樹、高橋洋、松尾敏伸、他

1998年2月21日 大阪、シアター・ドラマシティ

 演劇界の革命児、蜷川幸雄が彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピア全37作品を上演する事になったという。彼自身が全ての出し物を演出するわけではないようだが、今後が楽しみだ。今回のロミジュリはその第1弾という事で前評判も高く、私はチケットを取りそこねたので、当日券の列に並ぶ。当日券といっても、急遽追加した席なので、一階座席の一番うしろ、本来は廊下である所にパイプ椅子をぎゅうぎゅうに並べている。立ち見よりはましだが、満員電車の中で芝居を見るような感じ。身動き一つするにも周囲に気を使う。

 今回の舞台は、前面を鉄格子で覆った三階建てのセットで、舞台上方スペースを活用してスケール感を出している。開幕冒頭、中央の小さな扉が開き、向こうから光が射すと同時に、果物やら何やら、物語の背景となる中世のヴェローナをイメージさせる小道具がドパ〜ッと転がり出てきたかと思うと、それに続いて俳優達がエネルギッシュに登場。あっという間に広場の喧噪の出来上がり。シェイクスピアの翻訳に関しては、個人的には、駄洒落のやりとりに一長がある小田島雄志の訳が好きだが、今回は更に現代的な松岡和子の訳。シェイクスピアのセリフの卑猥さに圧倒され、その部分を特に生かしたという彼女は、自分のはもっとも下品な訳ではないだろうかと語っている。

 そのせいか今回の舞台は、若さの漲る、実にフレッシュな『ロミオとジュリエット』。主演は佐藤藍子と大沢たかおで、前者はこれが初舞台、後者は95年の『夏の夜の夢』が初舞台。私もその舞台は見ている。二人は、鉄格子をよじ登ったり降りたりしながら、あのシェイクスピアの長ゼリフを言い淀む事なく、よく通る声で生き生きと演じていて感心しきり。鉄格子の三階部分にも扉があって、そこからセット内部に入れるようになっているが、地上からその扉まではかなりの高さがあるにも関わらず、二人は命綱もなしに上へ下へ、右へ左へとあちこち移動する。見ている方は冷や汗ものだが、それで芝居がお座なりになる事もなく、生気溢れる表現で観客を圧倒。拍手!

 以前、何かのテレビドラマで佐藤藍子を見かけた時(実を言うとほんの一シーンしか見なかったのだが)、過剰な演技がテレビのリアリズムに合っていなくて閉口した憶えがあるが、ロミオの死に際して胸もつぶれんばかりに絶叫する彼女の声は、最後列でみていた私の耳をもつんざく凄まじさで、たっぷりと間を取って静と動を対比させ、パッションをフルにみなぎらせた激しい表現に、会場のあちこちからすすり泣きの声が上がった。演劇的素質というのは、すごいものである。

 他の役者も大変立派。特に片桐はいりの乳母が適役。ティボルトの松田ケイジは、森田芳光監督の『キッチン』でデビューした人で、優しくてナイーヴな現代青年のキャラクターが印象的だったが、今回は全く対照的に、血気盛んな怒れる若者の演技で、ほとんど別人の感。他ではあまり見た事のない人だけど、とても才能のある役者さんみたい。

 ただシェイクスピアというだけで、いつも素晴らしい舞台になるとは限らず、最近は不満の残る上演が多かったので、今日は大満足。例えば、誰だったか外国人の演出家による、南果歩と段田安則主演の『マクベス』は、肝心のマクベスが容姿・声共に線が細く、あんまり感心しなかった(大阪公演)。又、麻美れいがタイトルロールを演じたミュージカル風『ハムレット』は、演出(確かイギリス人だったような)も良く、羽野晶紀のオフィーリア、岡田真澄のクローディアス、加賀まりこのガートルードなど、みんな好演していたが、肝心のソング・ナンバーに必然性があまり感じられず、曲自体も音楽的に??で、単に劇を間延びさせていたのが残念だった(95年6月、新神戸オリエンタル劇場)。

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