“時代を先取りしたセンスとユーモア。しっかり笑えて胸にしみるロシア横断記”

『犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫)

 武田百合子

 まちこまき氏が武田百合子を愛読していて、特にこの本には衝撃を受けたというので読んでみましたが、なるほど私も夢中になってしまいました。この人の文章は、作中で描かれる自身の性格と同じく、竹を割ったように明快率直で、ユーモラスで、それでいて、時に心に沁み入るような叙情を発露したりして、なかなか一筋縄ではいきません。ケタケタ笑いながら読んでいると、突然不意を衝かれて胸を打たれる事もあります。時代を数十年も先取りしたようなセンスにも、まったくもって驚かされます。

 夫の武田泰淳とその友人、竹内好に同行したこのロシア旅行は、彼女にとって初めての洋行。夫に「連れて行ってやるんだからちゃんと日記を付けるんだぞ」と言われて書いた日記を後年に発表したものですが、この時点での彼女はまだ作家デビューしていませんでしたから、元々文才があったのでしょう。初めての海外、それも日本人がまだそんなに行っていない時代のソビエトに行きながら、どんな状況でも常にマイペースを崩さず、屈託のない天真爛漫さとアグレッシヴな行動力で、ずんずん先方の文化に分け入ってゆく彼女の姿は、正に痛快そのもの。ドライなユーモア感覚に立脚した人間観察には、古臭さや時代がかった所が微塵もなく、私などは何度も笑い転げてしまいました。

 それに、研ぎすまされた感性による洞察力の鋭さといったら! 例えば、「日本人の顔は主に蟹に似ている。顔の中が*の印になっていて、体つきもこわばっている。歩き方は危なっかしい。しかし、西洋人からみれば、私たちはエキゾチックでサイケだろう」。とても、昭和四十年代にかかれた文章とは思えません。一方で、同行者の言動や訪問した場所、食事のメニューを逐一書き記すなど、緻密な一面も見せるのです。私が好きなのは、様々な国のグループが自分達のテーブルでお互いの国の歌を歌い合って、大盛り上がりになる食堂の場面。めいめいが相手の国の歌を知っている事も素敵ですが、合唱する事でその国の人達のテーブルへ友好の意を示す所に胸打たれます。まるで映画の一シーンみたい。

 それにしてもこの人達、ものすごい旅行です。日本から船でハバロフスクへ渡り、シベリア鉄道や飛行機を乗り継いで、モスクワやレニングラードからスウェーデン、デンマークまで、正に大陸横断です。そして、どこでも同じ調子でやっている所がすごいです。旅好き、エッセイ好きの人にはお勧めでしょう。油断していたら、あとがきに泣かされました。読売文学賞受賞作。

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