“異色の日本画家による挿絵入り、般若心経の現代語訳本”

生きて死ぬ智慧』 (小学館)

 文:柳澤桂子  画:堀文子  英訳:リービ英雄

 これは、小説でもないし、ノンフィクションでもないし、絵本でもないし、どのカテゴリーで紹介すればよいのか分からなかった本です。一応は画文集という事で、ちょっと苦しいですが美術関連という分類にさせて頂きました。でも、面白い本って結構、分類困難なものが多かったりしますね。本書は、般若心経を独自の解釈で詩のように訳したという、いわば、お経の現代語訳です。しかも、訳したのは宗教家ではなく、科学者です。さらに、日本画家・堀文子の絵を呼応させ、末尾に英訳も載せています。カラーですが、全47ページの薄い本。

 文章に関しては(絵もですが)、少なくとも私にとっては、一度や二度読んだくらいで理解できる内容ではありませんが、「色即是空 空即是色」というフレーズは、私が昔ハマっていた作家・夢枕獏が作品の中でよく扱うテーマなので、個人的には親近感のある思想でもあります。これは、仏教的概念である“無常観”を伝えるヴァリエーションの一つという感じもしますが、たったこれだけのフレーズでも、受け手の解釈によって相当なニュアンスの違いが出てくるのが面白い所です。

 柳澤桂子は日本を代表する生命科学者で、三十五年にも渡って難病と闘いながらも研究を続け、サイエンス・ライターとしても活躍してきた人です。彼女はあとがきで、これは個人的解釈であり、絶対に正しいというものではないと断った上で、本書についてとても分かりやすく説明しています。つまり、仏教に限らず、偉大な宗教は皆、物を一元的に見るという事を述べているというのです。

 人間は、生まれ落ちた時から自己と他者を区別し、成長するにしたがってどんどんその傾向を強めます。欲や執着はこの二元論ゆえに生まれます。ところが、科学を学ぶと、世界は一元論で出来ている事が分かる。人間も含め、生物もそれ以外の物質も全ては原子から成っており、世界には、ただその原子の薄い部分や濃い部分があるに過ぎない。自己も他者も関係ない。全てが等しく、同じであり、真実の世界は一元的で、人間はただ錯覚を起こしているだけなのです。

 これは驚く事に、このコーナーで紹介している立花隆著『宇宙からの帰還』の宇宙飛行士たちや、パウロ・コエーリョ、サン=テグジュペリが言っている事とほとんど同じです。全ては一つなのです。そして科学者である著者は、その真理を発見したブッダというのはものすごい天才で、現代でいう原子の概念と同じ事を悟ったのに違いないと述べています。ここに宗教と科学の、意外であり、また当然でもある出会いが見られるのです。

 堀文子は、因習に背を向けた独自のスタンスで熱狂的ファンを持つ日本画家。彼女も、重い心臓病から奇跡的回復を遂げて以来、ミジンコなどの極微の生命宇宙を描くようになったといいます。知識の浅い私から見ると、これらの絵は日本画というイメージからほど遠いようにも見えるのですが、いずれにしても、この世の風景とは思われないような、不思議な絵が並んでいて、独特の雰囲気を醸しています。

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