これは又、なかなか“濃い”人選による対談本です。装丁にもインパクトがありますが、最初の数ページに、瀬戸内寂聴が住職を務める天台寺を美輪明宏が訪ねた時の写真がカラーでたくさん掲載されていて、これもなかなか普通じゃない感じになっております(美輪氏の衣装と髪型のせいでしょうか)。 トークの主導権は美輪明宏が握っている印象がありますが、個人的には、前半部で、やたらとお互いを誉め合ったり、不思議な因縁の話ばかり続いたりして、どことなく主婦の立ち話っぽい調子が気になるのと、中盤から後のほとんどが三島由紀夫関連のエピソード一色になってしまうのは、本全体の構成から言っても、内容的にバランスが少々偏っている印象を受けます。特に、後半部はゴシップ的な話題が多くなってきますが、ゴシップと言っても、何せ登場する人物が尋常ではない顔ぶれなので、割り切って読めば、昔の文化人の世界を垣間見るようで、大変に面白いものです。 それに、さすがはこの二人だけの事はあって、内容的に教えられる点も多いように思います。ここでも、仏教のお話だけではなく、他の宗教の考え方や新興宗教の問題も取りあげられ、さらには宗教を超えて社会全般へ問題の対象を拡げています。これは、重要な事ですね。 ここで美輪明宏も又、別欄でご紹介した『生きて死ぬ智慧』と同じように、仏教の考え方の中から非常に科学と近い解釈を導き出しています。人間の体を、タンパク質からDNA、染色体と細分化してゆくと、最後は原子になる。だから、魂とか霊魂と言われているものは未発見の原子なんじゃないか。女性の体内に核である素子が入り、それがタンパク質、カルシウムで包まれて人間として誕生する。死とは逆に、肉体が原子に還元される事ではないか、と。これは、『生きて死ぬ智慧』の柳澤桂子が、ブッダの考え方に見いだしている解釈と地続きのものと言えます。そして、『ブッダの夢』で河合隼雄と中沢新一が言及しているように、科学的な概念と必ずしも矛盾しない。こういう一致を見ると、仏教というのはやはり、一種科学的な所のある宗教なのだなあ、と強く思います。面白いですね。 |