硬質な論理と柔らかな詩情‥‥ほのかな哀しみ漂う円熟のエッセイ群

ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』他 (白水Uブックス他)

 須賀敦子

 須賀敦子の名前は、読書好きの間ではもう充分に浸透しているというか、広く読まれている作家ではないかと思いますが、当コーナーは(私も含めて)プチ読書好きの方々を対象にしているので、まだこの作家を知らない人には、強くお勧めしたいと思います。個人的に、最も尊敬している作家の一人です。このコーナーではあまりやらない事ですが、簡単に経歴をご紹介しましょう。

 1929年、芦屋生まれ。良家の子女として育ちますが、その後入学した慶応義塾大学院を中退し、1953年にパリ、58年にはイタリアに留学。ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店でカトリック左派の活動に参加し、そこで知り合ったイタリア人男性と、家族の大反対を押し切って結婚します。以後、ミラノの主要出版社で日本文学専門のアドヴァイザー、翻訳者として、日本の文学作品を数多く出版・紹介しますが、結婚してたった五年で夫が病死。帰国後は、大学で教鞭を取りながらエマウス活動にも関わりますが、やがて、ブルーノ・ムナーリやナタリア・ギンズブルグなどイタリア文学の翻訳者として注目されはじめます。彼女がエッセイ集で作家デビューしたのは何と1990年、61歳の時。「新人にしてすでに大家である」と各方面から絶賛されるも、たった五冊の本を出しただけで1998年に逝去。こうやって振り返ってみても、良家のお嬢さん出身というイメージからは程遠い、活動的でアグレッシヴな人生ですね。

 この人の文章は、フランス、イタリアで徹底的に鍛えられたという、非常にヨーロッパ的な透徹した論理性、硬質な“知”の世界を感じさせると同時に、それとは正反対の柔らかで詩的な感覚が共存する所が魅力で、ページをめくる度に馥郁とした文学の香りが漂います。又、文章が常にうっすらと哀しみの色合いを帯びているのは、書かれている内容のほとんどが遠い過去の出来事で、登場人物の多くが、既にこの世にないからでしょうか。それでいて、自身の言動や感情よりも、周囲の人間達の描写が多く、そのせいか彼女の作品は、エッセイでありながら、どこか小説を思わせる雰囲気を持っています。

 彼女の文章を読んでいると、遠いある日の記憶が、単なる映像的描写だけではなく、生活のそこここに満ちる匂いや、急に冷え込んだりじめじめとしたりする空気の肌触りなど、リアルな皮膚感覚を伴って描写されているのにしばしば出くわします。著者とは較べ物にならないくらい平凡な暮らしを送っている私でも、そういう文章にぶつかると、「ああ、この感覚、この匂いは知っている」とか、「そうそう、じきに冬がやってくるのがこうやって肌で分かるんだな」という風に、過去の記憶が体感を伴って鮮烈に蘇ってくる事も少なくありません。そういう時、人が思い出を背負って生きてゆくという事、記憶と対話しながら、人生を一歩ずつ前に進めてゆく事の意味について、ほんの少しヒントを貰ったような心持ちになるのです。

 彼女が生前に発表した五冊のエッセイ集は、どれも甲乙付け難いほど素晴らしい本です。詩人サバの故郷トリエステの訪問記とミラノの家族について書かれた『トリエステの坂道』。著者もその一員だったカトリック左派の書店にまつわるエッセイ『コルシア書店の仲間たち』。作家ユルスナールの足跡に自分自身を重ね合わせる『ユルスナールの靴』。イタリア生活の記憶を綴ったデビュー作『ミラノ 霧の風景』。そして、芦屋で過ごした少女時代や父親臨終の顛末が感動的に語られる『ヴェネツィアの宿』。どれも、味わい深い文章が心に沁み入ると同時に、論理の構築に圧倒され、時には胸が締め付けられるほどの悲痛な一文にぶつかったりする、美しい作品です。没後にも『遠い朝の本たち』『霧のむこうに住みたい』『時のかけらたち』など、数冊の本が編集・出版されました。

 エッセイ以外の著作も、翻訳物や詩人の研究書、酒井駒子の絵がついた絵本『こうちゃん』など、興味深いものばかりですが、私が特に惹かれたのは新聞に掲載された書評などを集めた『本に読まれて』。ここには、著者の本の読み方、物の見方、感じ方というのが、よりダイレクトに表れているように思います。勿論、須賀敦子の事ですから単なる書評に留まるわけがなく、話題は脱線するどころか、冒頭からまるで本と関係のない内容を書き始めたり、ほとんどエッセイの様相を呈しているものも多くあります。例えば佐野英二郎著『バスラーの白い空から』の書評冒頭はこんな文章で開始されますが、その唐突な意外性、そして文章そのものとその背後にある思考の素晴らしさに驚かされます。

“仕事のあと、電車を途中で降りて、都心の墓地を通り抜けて帰ることがある。春は花の下をくぐって、初冬のいまはすっかり葉を落とした枝のむこうに、ときに冴えわたる月をのぞんで、死者たちになぐさめられながら歩く。日によって小さかったり大きかったりするよろこびやかなしみの正確な尺度を、いまは清冽な客観性のなかで会得している彼らに、おしえてもらいたい気持ちで墓地の道を歩く。”

 もし、須賀敦子の本を読んで気に入られた方は、出来る事なら彼女の著作を全て読んで欲しいと思います。全部読んでも十冊ほどしかないわけだし、どれを読んでも、何度読んでも、この人の文章は、私達の心の、ずっと深い部分に語りかけ、読み手の中にある何かを高めてくれるように思うから。単行本だけでなく文庫化されている作品も多いですし、最初の五冊は白水Uブックスからも出ています。河出文庫からは全集の文庫化もはじまりましたので、こちらでまとめて完読するのもいいでしょう。この人の本は、私もこの先一生、何度でも手に取るだろうと思います。

*   *   *

 

Home  Top