米原万里は、まずロシア語の同時通訳者で、さらにエッセイの名手でもあり、ニュース番組のコメンテイターでもあった人ですが、私は失礼ながら、書店で追悼コーナーを目にするまで、存じ上げませんでした。それで、最初に手に取ったのが本書だったのですが、あまりの素晴らしさにすっかりファンになってしまい、以来次々と彼女の著書を読み漁っております。 彼女が書くものは、どれもユーモラスで、毒気があり、時にかなり下品で、それでいて知的で、話題豊富で、とにかく無類に面白い本ばかり。例えば、同時通訳者たちの熾烈な世界を伝えるエッセイ群を、前菜、サラダ、デザートとコース仕立てに構成した『ガセネッタ&シモネッタ』。世界の美味珍味に関するグルメ・エッセイを、これもコンサートのプログラムに見立てて構成した『旅行者の朝食』。莫大な知識を背景に世界の異文化を対比する『魔女の1ダース』。仕事を通じて彼女が見てきたロシアの現実を赤裸々に描く『ロシアは今日も荒れ模様』。果ては小説作品『オリガ・モリソヴナの反語法』などなど。 ほとんど、彼女の書く物ならどれでもお薦めというくらいですが、ここにご紹介する『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、ユーモア一辺倒ではなく熱い涙も誘われる点で、他とは一線を画したい本です。小学生時代、チェコのソビエト学校に転入していた彼女。世界各国から個性豊かな生徒が集まっていたこの学校の当時の日常が、まるでごく最近の出来事でもあるかのごとく、生き生きと描かれています。三つの章でそれぞれ軸となる人物は、恋愛方面にませていたギリシャ人のリッツァ、嘘つきだけど皆に愛されていたルーマニア人のアーニャ、クラスでナンバーワンの優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。特に、クールで近寄り難い存在だと思われていたヤスミンカが著者と親しくなってゆく過程は、いじらしくて、甘酸っぱくて、読んでいると心の奥の懐かしい部分にそっと触れられるようで、じんわり泣けます。 圧巻は、三十年も音信が途絶えていたこの三人に、大人になった著者が会いにゆく所。何しろ三人とも、激動の時代をくぐり抜けた東欧にあって消息が分からないのですから大変です。彼女達が成長する間にチェコスロヴァキアは民主化して分裂し、ルーマニアではチャウシェスクの独裁政権が倒され、こちらも民主化。ユーゴでは内戦が勃発、クロアチアやセルビアなど複数の国に分裂してしまいました。再会の場面は感動的ですが、面白いのがその後。意外な事実が判明したり、意見が真っ向から対立したり、民主化後の各国の状況が、必ずしもまるきり良くなっているわけではなかったり、会えて良かったというだけでは終わらない、時の流れや社会の変化を感じさせて複雑です。 ちなみに、本書で描かれている再会の旅は、NHKの『わが心の旅』というシリーズ番組で実現したものだそうです。それにしても著者五十代半ばでの早すぎる死は悔やまれますが、彼女が雑誌などあちこちに書いた文章は、まだ書物にまとめられて刊行されたりしているので、しばらくはまだ彼女の新刊が読めるかもしれません。心よりご冥福をお祈り致します。 |