シャンソン歌手・石井好子が、フランス生活で口にした当地の食べ物について書きまくった、料理エッセイの元祖と呼ばれる名著。著者逝去の1年後となる2011年、待望の文庫化がなされました。出版は1963年、暮らしの手帖社から単行本で出たものですが、文章はまるで昨日今日書かれたかのようにモダンで、生き生きとしていて、まるで古さを感じさせません。特に文章のそこここに冴え渡る言語センスは今風といって差し支えない程で、その自虐的で明るいユーモア感覚は、胸のすくように爽快。 彼女特有の物の見方は、サブタイトルの付け方にも表れています。例えば「また来てまた見てまた食べました」「紅茶のみのみお菓子を食べて」「作る阿呆に食べる阿呆」「とまとはむぽてと」「わが家族の食い気についての一考察」「私のゆくところに料理がある」と、タイトルだけでも内容の楽しさが伝わってきます。だいいち本のタイトルからして、「巴里の空の下セーヌは流れる」のパロディですからね。 彼女曰く、食べ物に対するフランス人のこだわりは尋常でなく、顔を合わせればどこどこの何がおいしかったと食の自慢ばかりしあっているとの事で、その様子はユーモラスな筆致で、あちこちに活写されています。又、食べ物に対する自身や家族の偏愛の差異について、事細かに報告した一文も笑えます。それでも時折、知り合いとして画家の藤田嗣治や、フランソワーズ・サガン作品の翻訳で知られる朝吹登美子(著者の義兄の妹で、一時期パリで一緒に暮らしていたそうです)の名前が出て来て、時代の空気が漂います。 驚くのは、当時の日本では決してメジャーではなかった筈の、こんにち私達が普通に食べている欧米の料理のほとんどを、彼女はアメリカ留学とフランス生活、ヨーロッパ横断旅行を通じて口にし、おいしいといって逐一紹介している事です。「バター」が「バタ」、「ワイン」が「ブドー酒」と表記されている事からも、用語がまだ一般的ではなかった事が分かりますが、その一端を羅列してみると、コールスロー、ハンバーガー、ラタトゥイユ、フォンデュ、ポトフ、フワグラ(フォワグラ)、ブィヤベーズ(ブイヤベース)、キッシュ、クラムチャウダー、ニョッキ、ヴィシスワーズ、パエリァ・ヴァレンシアーナ(パエリア)、ガスパチョ、ザウエル・クラウツ(ザウアー・クラウト)、ラザーニ(ラザニア)、リゾット、ピツァ・パイ(ピザ)、ミネストローネなどなど。 まだ少数ではあっても欧米に渡った日本人は皆、現地で既に食べていた物なのかもしれませんが、今の日本でも比較的最近広まった物もあるくらいですから、それらを半世紀も前に食べまくっていた人がいるとは、やっぱり驚きます。唯一の難点として、純粋にエッセイとして読みたい人には、レシピの説明が多すぎるきらいがありますが、それらも著者の興味と熱意をよく伝えています(逆にレシピ版の本も出ています)。 |