このコーナーで現代音楽をお薦めするのは、企画の性質上、かなり勇気がいる事なのですが、この曲は現代音楽のみならず雅楽という分類も出来、やはり一度はきいてみる価値のある作品という事で、ここに取り上げた次第です。私自身、十分聞き込んでいるとは言えない曲ですが、日本人の音楽ファンとして、このようなディスクが棚に並んでいるという、その事自体が、何か大切であるようにも思うのです。この音楽は、西洋と東洋それぞれにおける音楽の価値観、とりわけ時間という概念の捉え方が両者の間でいかに異なっているかを、私たちに教えてくれます。 武満徹は、《ノヴェンバー・ステップス》や《弦楽のためのレクイエム》などで知られる、言うまでもなく我が国を代表する作曲家の一人で、又、黒澤明作品などの映画音楽でも世界的に有名ですが、彼はキャリアのごく初期の頃から、琵琶や尺八など和楽器を作品に取り入れてきました。70年代初頭、雅楽の世界は古典だけではもう存続できない、新作の現代雅楽作品が必要だという話が出た時、まだ若手だった彼に作曲が委嘱され、完成・披露されたのが本作の元となる《秋庭歌》です。彼の和楽器の使い方は、西洋型のオーケストラに、融合させるよりもむしろ対立させるというものでしたが、この作品は雅楽ですから、当然和楽器だけで演奏されます。従って、彼の繊細かつ豊麗なオーケストラ・サウンドや、官能性を帯びた美しいメロディ・ラインをきく事はできませんが、音と沈黙が対等に渡り合い、時間と空間が無限のイマジネーションを含む、この、いかにも日本的な美意識に支配された神秘的な世界は、確かに他の武満作品と同じ土壌から生まれたものと納得できます。第3曲《塩梅》の龍笛のソロなど、まるで自分の周囲の環境は、本来あるべき姿とは違って見えているのだとでも言われているみたく、ほとんど別世界にいざなわれるかのような美しさを感じます。 琵琶や笙、篳篥、太鼓、笛、箏など、29人の奏者によって演奏されるこの曲は、50分近い長さを持つ、最も長大な武満作品でもあり、ディスクといえば、今まで東京楽所によるものが一枚出ていたきりでした。今回演奏を担当している伶楽舎は、この作品の研究・演奏活動に専念するために宮内庁楽部を辞めてしまったという芝祐靖が組織した団体で、笙の第一人者である宮田まゆみがメンバーに入っている他、このディスクでは、パーカッション奏者の吉原すみれも客演で参加しています。彼らの演奏は、作曲者自身も生前に注目していたほど優れたものですが、作曲者の没後、満を持して行われたサントリー・ホールでの本公演は、四半世紀の総仕上げにふさわしい会心の出来栄えで、CD化されるやいなや本作品の決定盤として各紙で絶賛されました。 静かに目をつぶって聞いているだけで、様々なイマジネーションや幻想を喚起するこの作品、そして、最高の奏者達が最高のコンディションで録音したこのディスク、沈黙の中にも音楽を聞き取る感性を磨くために、そして、自分の中の“日本”と対話するために、持っていて損はないディスクだと言えるでしょう。私も、折に触れてはこのディスクを出してきて、50分のトリップを試みようと思います。 |