鈴木雅明 指揮

バッハ・コレギウム・ジャパン

臼木あい(ソプラノ) マリアンネ・ベアーテ・キーラント(アルト)

アンドレアス・ヴェラー(テノール) ドミニク・ヴェルナー(バス)

曲目

モーツァルト/《聖証者の荘厳な晩課》K.339

モーツァルト/《レクイエム》K.626

2006年12月9日 西宮、兵庫県立芸術文化センター大ホール

 鈴木雅明とBCJは、彼らが演奏拠点にしているチャペルが妻の母校、神戸松蔭女子学院大学にあるので、何となく思い入れがある。もっとも、バッハのカンタータ全集のディスクは発売当初からずっと追いかけているが、実際に神戸松蔭で生演奏を聴いたのは一度だけだ(すみませんねえ)。今回はBCJ初のモーツァルトという事で、なおかつ私の大好きな《レクイエム》。

 前半プログラムの《ヴェスペレ》はあまりよく知らない曲で、途中少しうとうとしてしまったが、5曲目の《ラウダーテ・ドミヌム》が、いかにもモーツァルトらしい、オペラのアリアを思わせるソプラノ独唱曲になっているのと、最後の《マニフィカト》が変化に富む展開で引き込まれる感じ。ただ、《レクイエム》と較べると、あまり陰のない明るい曲という印象を受ける。本公演では典礼に則って、グレゴリオ聖歌のアンティフォナ部分を挿入するという事で、各曲の冒頭にバスのドミニク・ヴェルナーと男性合唱によるユニゾンのメロディが歌われた。これが又、グレゴリオ聖歌特有の音階によるもので、モーツァルトをはじめとするドイツ系の音楽とは全然雰囲気が違うので、きいていて何だか不思議な感じ。

 後半は期待の《レクイエム》。思えば、この曲を生演奏で聴くのは初めてだ。この曲の冒頭にもグレゴリオ聖歌が演奏されて、少し面食らう。本編に入ると、あの、魅力的なイントロからしてすっかり引き込まれてしまった。曲も前半よりグレードアップしたが、演奏もヴィオラやバセットホルンが加わってグレードアップしたみたい。特に、モーツァルト絶筆の曲となった《ラクリモサ(涙の日)》は、最弱音で始められ、弦の編成が少ないせいもあってか、導入部など本当にすすり泣きのように聴こえた。この曲も含め、全体に優しく、柔らかい感じの演奏だが、強弱が周到に設計されていて、鈴木雅明も時折全身を大きく揺さぶり、熱いパッションを露に。ソプラノの臼木あいは、他の外国人歌手三人と較べるとどうしても線が細く感じられるが、美しい声で健闘。合唱も好演。BCJはやっぱり、レヴェルの高い団体だと思う。

 演奏が終わった途端、一瞬の静寂の中、背後の客席のどこかからホワ〜という感嘆の溜め息が聴こえてきた。分かるよ、その気持ち。僕もめちゃくちゃ感動したよ。何度も泣きそうになったよ。うん。盛大な拍手が送られるも、ブラヴォーの声は一切飛ばないが、宗教音楽の場合の通例なのだろうか。アンコールは、時々《レクイエム》のCDでも最後に収録されている《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K.618。短いけど、透明感のある美しい曲。こちらは、拍手の起こる前に素晴らしい静寂の間があった。BCJはモーツァルトでも素晴らしかった。是非レコーディングして欲しい。

 感動に胸を打ち震わせながらロビーに出ると、ホール前広場の木々が白とブルーのライトで飾られていて、全面ガラス張りのロビーが最高にロマンティックな景観に。偶然にしても素晴らしい演出。よく見ると、ひときわ背の高い大木(もみの木)にカラフルなライトが施されていて、すごくきれい。音楽とともに、素敵な一夜になった。

まちこまきの“ひとくちコメント”

 レクイエム。名曲。宇多田ヒカルも好きだとか。そうだろうそうだろう。最近モーツァルト関連の特番を立て続けに二番組見て、モーツァルトの生涯をおさらいしたばかり。モーツァルトみたいな人がこの世に誕生して、この曲の作曲中に天に召されたということを考えながら演奏を聴いていると、なんだか不思議で神秘的で、今この会場で演奏を聴いていること自体、すごく奇跡のような出来事だと思った。

 演奏会直前、神戸で開催されている「オルセー美術館展」で、小さな子供の葬儀の絵を見た。その絵とモーツァルトのレクイエムが重なる。悲しいけど、とても清らかで、いつまでも聴いていたいような音楽だ。

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