ドホナーニは久しぶり。高校生の時に、クリーヴランド管弦楽団の来日公演を尼崎のアルカイックホールで聴いて以来、20年ぶり。当時はあまりに整然とした演奏ぶりに何だか素っ気ないものを感じたものだが、後年数々のディスクを聴くにつれ、この指揮者の尋常ではない才能に圧倒されっぱなし。ウィーン・フィルと録音したバルトークの《中国の不思議な役人》やストラヴィンスキーの《火の鳥》《ペトルーシュカ》などは、どれも信じられないような名演。特に、全ての音符を鮮やかに鳴らし、なおかつドラマティック極まりない歌劇《サロメ》のパフォーマンスは圧巻! ハンブルク北ドイツ放送交響楽団と聞いて??と思っていたら、何の事はない、イッセルシュテット御大によって設立され、巨匠ギュンター・ヴァントと伝説を作り上げてきたNDRオケの日本語名が変わっただけみたい。と言っても実演で聴くのはこれが初めて。かつては朝比奈隆も度々指揮台に上がり、最近はブロムシュテットやガーディナー、エッシェンバッハなど、意外な指揮者をシェフに迎えてきた団体でもあるが、ドホナーニが首席指揮者になっていたとは知らなかった。 座席は二階、舞台真上の右サイドで、トロンボーン、チューバ辺りを眼前に見るような位置。指揮者を斜め前から間近に拝めるので、見応えがある反面、ウトウトしたら怒られそうな緊張感がある。クールな知性派のイメージだったドホナーニも年を取り、かなり太った印象。燕尾服ではなく、金聖響や昔の小澤征爾が着ていた学生服みたいなのを着用しているが、胴回りなど相当な膨満感である。 1曲目のウェーバーは、半年前に同じ会場でドレスデン・シュターツカペレがアンコールで演奏したのと同じ作品だが、熱くたぎるようなミュンフンの指揮と違って、やはりどこまでも客観的。もっとも、オケのドイツ色は早くも全開で、分厚いサウンドの中からクラリネットあたりの繊細な音色がすうっと立ち上がってくる所はたいそう魅力的。2曲目のメンデルスゾーンは、人気の諏訪内晶子を迎える。最前列で、なんとかソリストを正面から見ようと思い切りのけぞっている男性がいた(休憩の後、いなくなっていた)。艶やかな音色を駆使し、隅々まで劇的に設計された、目で見ても耳で聴いても「うまい!」と感じさせる華やかな演奏。さすがはこの人、スター性がある。 チャイコフスキーは、思った以上の好演。最近、ドホナーニのやろうとしている事がやっと分かってきた気がする。第1楽章など、提示部も展開部もほぼインテンポで、旋律の美しい箇所もルバートなしで淡々と進行するが、さすがにオケはニュアンス豊か。展開部直前のクラリネット・ソロは、とんでもない最弱音(まるで吐息のよう!)を連発し、客席の度肝を抜く。このオケ、案外機能的な金管群が素晴らしく、トロンボーンやホルンのソリッドかつ美麗な響きは絶品。トランペットなんて、たった二人でものすごい迫力を出している(この曲のトランペットって、2パートだけだったかな?)。 第2楽章では、ヴァイオリン群の合いの手にキューを出すのに、ドホナーニが左手をいちいちヒラヒラさせ、その結果出て来る音が得も言われず優美なのに驚く。実はコクのある、彫りの深い演奏を行なうドホナーニの秘密を垣間見たような。第3楽章も、遅いテンポで重戦車のように突き進む指揮者が多い中、颯爽としたテンポで軽やかに曲を運ぶが、フライングで入った拍手をものともせず、間髪入れずに終楽章へ突入。ここぞとばかりパッションをほとばしらせ、見事に息の長いラインを描く最初の旋律を聴いた瞬間、「やられた!」と思った。大抵の演奏は、第1楽章を壮絶に盛り上げたり、第3楽章で燃え尽きてしまったり、つまりは作品をデフォルメしすぎなのかもしれない。楽譜に忠実であれば、感情のピークは自然と第4楽章に来るという事だろう。ここに至って悲哀の感情はピークに達し、思わず涙がこみあげてきた。クラリネット奏者は、やはり一人でブラヴォーを浴びた。拍手! アンコールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番ホ短調。今日は結局、徹底して旋律美にこだわった、ロマン派作品のプログラムだった。終演後、楽員達は舞台の上で、それぞれ隣のメンバーと握手しあっていた。気付けばドホナーニも、かなり高齢の指揮者になってきているが、このまま現役で突っ走って欲しい。応援してます! |