ゲオルク・クリストフ・ピラー 指揮

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

聖トーマス教会合唱団

ウテ・ゼルビッヒ(ソプラノ) エリザベート・ヴィルケ(アルト)

マルティン・ペッツォルト、アンドレアス・ヴェラー(テノール)

マティアス・ヴァイヒェルト、ゴットホルト・シュヴァルツ(バス)

曲目

バッハ/マタイ受難曲(後期稿)

2008年3月9日 大阪、ザ・シンフォニーホール

 世界に名だたる聖トーマス教会の合唱団が聴ける、それもゲヴァントハウス管弦楽団との黄金の組み合わせというのでワクワク、というのは嘘ではないが、実は我が家、前日に又もや引っ越ししたばかりなので、色々と雑念が入ったり、心も体も疲労困憊で音楽に集中できなかったりと、少し残念なコンディション。チケットを取ってから引越しが決まったので仕方がない。ちなみにオケの方は先月、リッカルド・シャイーと来日する予定だったのでこれも京都公演のチケットを取ってあったが、シャイーが急病という事で公演中止。これまた残念。席は二階の最後尾近くだが、シンフォニーホールだとここでも充分ステージに近い。

 マタイ受難曲は人類が作曲しえた音楽の中でも最高峰のものと言われる大傑作だが、実は全曲を最後まで聴いた事が過去に数回しかない。勿論、生演奏は初めて。その上、合唱の分野にも疎いので聖トーマス教会についてもそんなに詳しくはないのだが、ステージに登場した子供達をみてびっくり。実際にこの教会と合唱団が登場した映画『飛ぶ教室』そのままの雰囲気である。男声合唱は大人だが、どうやら女声部を子供達が歌うらしい。三時間を越える大曲、それもクラシックの頂点を成す深い音楽だというのに、信じられない話である。

 それで演奏はというと、これがびっくり、素晴らしい。さすがに子供といっても世界トップレヴェルのプロである。まず、コーラスの強弱の幅が格段にダイナミック。ふっと弱くなる部分のニュアンスも心に沁みるが、フォルティッシモで押してくる所の迫力、響きの透明度は絶妙で、聴いていると美しい声のシャワーに全身が包まれるよう。これを支えるのが又、ゲヴァントハウス管の精緻な美しさ溢れるサウンドで、一流のオケ、コーラスだとこれほど凄い事になるのかと大感動。独唱者は私の知らない人ばっかだが、皆とてもうまい(演奏についてとやかく言えるほど曲をよく知らない)。演奏の善し悪しを左右する重要なパートと言われる福音史家はマルティン・ペッツォルトが担当。彼の路線は客観的ナレーター型ではなく、物語に入りこんで感情を激しく表すタイプ。時にがなり声も交えながら熱唱していた。

 それにしてもマタイ受難曲、やはり凄い作品だ。冒頭部分の印象だけで、個人的にはヨハネ受難曲の方が好きかな、なんて思っていた過去の自分が憎い。時に浮遊感も漂う、浮世離れした透明な悲しみに溢れる感動的な導入部。有名なアリア《憐れみ給えわが神よ、この涙のゆえに》は言うまでもなく傑作で、私も思わず泣いてしまったが、この曲が終わった所で誰かが激しく拍手をして、つられた人達も少し拍手をしていた。もう1曲、この世のものとは思えないほど美しいアリア《愛ゆえに私のイエスは死のうとしている》は、嫋々たるフルートのソロが素晴らしく、私はもう涙でびちょびちょだったが、ここでは拍手は起きず。

 曲の最後では、又もや余韻が消えない内に気の早い拍手が始まって、腹が立った。感動が台無し。日本の音楽ファンには、今もってまだ音楽を聴く心と態度が身に付かないのだろうか。それにしてもこのコンサート、心身ともにもっと良いコンディションの時に聴きたかった。これほどの演奏を耳にしながら、極度の疲労に負けて時折ウトウトしてしまうなんて辛すぎる。

まちこまきの“ひとくちコメント”

 龍之丞氏が書いている通り、二人とも心身ともに最悪のコンディションで臨んだため、感動しながらも疲れがどっと出て時折スースーと眠ってしまった。でも驚いたことに横のおじさんは、演奏が始まると同時にうとうとしていた。私達よりもっと疲れた人だったのかもしれない。そんなお客をよそに、舞台では素晴らしい音楽が奏でられていた。天使の様な歌声でした。

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