一度生演奏で聴きたかった《カルミナ・ブラーナ》、といっても全くの初めてではなく、小学生の時に大阪フィルが宝塚大劇場で演奏したのを聴いた事がある(記憶はおぼろげである)。同曲以外に何を演奏するのか予備知識がなかったので、プログラムにハイドンの名を見つけて嬉しくなる。バランスの良い選曲かどうかは微妙な所だが、年を重ねるにつれ、昔は苦手だったハイドンはどんどん好きな作曲家になってきた。座席は前から13列目のやや左寄りで、なかなかの良席。合唱団の家族や知り合いなのか、客席は平素あまりこういう場所に来ない人たちが多い様子。 山下一史は、かつてN響にデビューした時に《春の祭典》を振るのをテレビで観たが、それ以来演奏に接する機会がなかったので、どういう指揮者なのか全く知らなかった。ハイドンは、しなやかさと敏感さのある演奏だが、特にピリオド奏法の影響や個性的なフレージングを適用するでもなく、近年のハイドン解釈としては珍しいくらいオーソドックスな傾向。第1楽章が終わった所で拍手が起こる。プログラムに全四楽章ある旨の記載がなかったので、恐らくこれで終わりだと思ったのだろうが、曲を知らないのならわざわざ率先して拍手をせず、周囲の様子を見てから反応すればいいのにと、いつも思う。 後半はいよいよブラーナ。舞台背後の客席を合唱団用に使い、何と二百人以上ものメンバーからなる合唱団が立つ。左端のスペースには少年合唱団(少女も多数)が並び、その場で座り込む。子供だから仕方がないのかもしれないが、出番が来るまで座っている合唱隊なんて初めて見た。大人の方はアマチュアの臨時編成団体で、1月から半年もかけて練習してきたそうだが、入りたい人はオーディションもなく自由に入れるのだという。 演奏は冒頭からものすごい迫力で、まずはオケの技術レヴェルに驚く。特に金管を中心に管楽器の活躍が目覚ましく、トランペットもホルンも実に輝かしい響き。京都市交響楽団は、80年代にFM放送のライヴをちょくちょく聴いていたが、これがあの、ミスばかりで到底鑑賞のレヴェルに耐えない演奏をしていた京響かと、思わず耳を疑った。指揮者も、ハイドンよりはよほど得意なレパートリーらしく、生き生きとしている。もっとも、アマチュア団体が歌う事を意識してか、奇をてらった解釈は全くなく、ひたすらストレートな表現に徹している。 合唱団は、全く期待していなかったせいかかなりの好演と聴いたが、男性合唱のア・カペラによる《もしも若い男女が》はアクセントが弱腰で音程もボロボロ。思わずズッコケる。その分、少年少女達が大健闘。ウィーン少年合唱団と公演も行っているとの事でさすがである。独唱もみんな好演だが、テノールの人は、バリトン歌手が歌っている間も横で僅かに頭を揺らしつつ一緒に口を動かしたりして様子が面白い。ソプラノ歌手は表現力、テクニック共に素晴らしく、最後の《愛しいあなた》ではものすごいハイトーンで客席を圧倒。ただ、彼女がテンポを無視してアドリブ風の表現に入るたびに、テノール氏が顔を上げてまじまじと眺めているのがおかしかった。 最後には、独唱者と指揮者、コンサートマスターになぜか花束が贈られたが、これはどうかと思う。おそらくは合唱団から贈られたものなのだろうが、京響は完全に地元のオケだし、いわば出演者から出演者に行為がなされているわけであり、私たち観客にそれを見せてどうしようというのか。こういう事は、舞台裏でやるべきだろう。 |