サイモン・ラトル 指揮 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

マグダレナ・コジェナー(メゾ・ソプラノ)

曲目

ハイドン/交響曲第92番《オックスフォード》

マーラー/リュッケルトの詩による5つの歌

ベートーヴェン/交響曲第6番《田園》

2008年11月29日 大阪、ザ・シンフォニーホール

 憧れのベルリン・フィル、初体験の巻。どういうわけか今まで一度も来日公演に足を運んだ事がなく、数年前から一度は生で聴いてみたいと思っていたが、関西公演は今回が八年ぶりとの事で、なかなか機会に恵まれなかった。そこへこのツー・デイズ! やはりチケット代は最高クラスで、一番安いE席でも一万六千円、その次D席が既に二万一千円と、恐るべき事態が進行しているが、どう考えてもこの競争率の高いチケットをゲットしない限り鑑賞は叶わない。という事であの手この手を駆使して発売日当日に臨んだ結果、奇跡が起きた。

 なんと一発で電話が繋がり、西宮公演のE席をゲット。頼みにしていたチケット代行業者がD席しか取れなかったというから私の方が技術が上みたい。もっとも、大阪公演は私も代行業者もDE共に席が取れず、まあ曲は西宮の方がいいし、一日分は取れたから大満足という事で胸をなでおろした。西宮はやはりD席の方が場所が良く、E席のチケットはネット・オークションに出した(とんでもない高値が付いたので、結果的に差額以上の利益になった)。

 あとは当日まで病気や怪我をしないよう体調管理に専心するだけという事で、公演一週間前に一応さらりとオークションを覗いてみた所、数々の出品の中に、S席一枚を半額スタートで出品している人がいた。ダメもとで入札し、終了直前にどんな凄まじい入札バトルが繰り広げられるかと見ていたら、なんとあっさり落札。誰も入札しなかったみたい(なんで?)。しかも送られてきたチケットは…なんと最前列の席。ベルリン・フィルの神様が私の元に舞い降りた。一枚だけなので、ビギナー妻のまちこまき氏は残念ながら欠席。

 当日、舞台に向かって左寄りの席に着くと、座ってみてびっくり。このホールは最前列の前に通路がないのである。膝の前がすぐ舞台のへりで、奏者のイスを舞台端ギリギリに設置しているので、要するに、目の前1メートルもない所に第1ヴァイオリンのイスが並んでいる。バタンと体を前に倒すと奏者のふくらはぎを掴んでしまう距離である。このホール、ちょっとおかしいんじゃないか。指揮者も横からみる位置だけど、すごく近い。というか、コワイ。少なくとも、絶対寝れない。聴衆代表として、ここは毅然と振る舞わなければ、という感じである。

 そもそも最前列とはどんな人種が座る場所なのかと周囲を見渡すと、なんと隣は中学生(もしかすると小学生かも)。中学生が四万円の席に座って世界最高のオケを鑑賞している大阪って一体…。もっとも、私が定価の半額でこの席に座っている事は、周囲の人々も、ホールのスタッフも、オケの楽員も、ラトルも知らない。コントラバスなど数名の楽員がステージ上でウォーミング・アップ中。目の前数メートルの所に置いてあるハープを調整しに、首席奏者のマリー・ピエール・ラングラメが姿を見せた。思わず「あなたが参加している室内楽のCD、持ってますよ」と話かけたくなる。

 楽員登場。映像で見た事のあるペーター・ブレムが目の前に座った。ジョージ・ルーカスに似ている人だ。コンマスだけ後から一人で登場。安永徹ではなかったが、ステージに出て来た時に楽員達に何か声を掛けた。ステージ上ではあちこちで会話が交わされていて、結構話し声が耳に入ってくる。全員登場してみると、この席、最前列の奏者がそびえ立ち、奥はほとんど見えない。管楽器の辺りは特に見通しが悪いが、スター級のソロ奏者は今日は皆お休みの様子。明日のプログラムがブラームス二曲なので英気を養っているのかも。ラトル登場。左側の席で良かった。間近に何度もラトルを拝見。

 一曲目はハイドン。CDも聴いたが、彼のハイドンは素晴らしい。しかしコントラバスが両翼配置で、間近に三人の奏者がいるため、バスだけやたら浮き上がって聴こえる。逆に、管楽器の音は頭上を素通りしてバランス的には全然よくないが、興奮しているため、「ベルリン・フィルを支えるバスの音をこれだけ明瞭に聴ける機会は滅多にない」と妙にポジティブ・シンキングになっている。隣の中学生、始まって数分で居眠りを開始。その向こうの老婦人を見ると、なんとこちらも居眠り中。こんな席でよく眠れるものだと思う。ラトルは表情豊かな指揮で、左右を向いて百面相。何度か目が合ったような。音のバランスが悪いので何とも言えないが、素晴らしいアンサンブルに聴衆から早くもブラヴォーが飛ぶ。この席、値段が一番高いのはおかしいと思う。西宮公演のチケットが取れていてよかったかも。

 二曲目はマーラー。奏者が一気に増える。コントラバスは通常の位置へ帰り、目の前には増員された第1ヴァイオリンの奏者達。楽員の女性とばっちり目が合ってしまった。ああ、緊張する。コジェナー登場。なんともゆったりと落ち着いた物腰の人で、背がとても高い。夫のラトルよりも高い。選曲はちょっと地味かなと思っていたけど、実際に聴くとデリカシーの極致みたいな音世界。コジェナーの声がひたすら素晴らしく、世界クラスの歌手を生で聴くのは初めてなので、これほど凄いものかと驚愕する。太くて芯があってよく通り、ビロードのように滑らかで、深くて、いつまでも聴いていたい美しい声。オケの室内学的表現力も絶妙で、《私はこの世に忘れられ》の最後、弦が聴こえるか聴こえないかの最弱音を震わせて消えていった所で、圧倒された会場が数秒感、世界から音が消えたように沈黙した。ものすごい瞬間だった。

 後半は、ラトルがベートーヴェンの交響曲の中でも一番好きで、得意にしているという《田園》。すこぶる生き生きとして、音楽する喜びに溢れた演奏。第4楽章などは、もっと機敏な演奏を展開するかと思ったが、予想に反して重厚な表現。ウィーン・フィルとの録音とは違ったコンセプトで演奏に臨んでいる様子。第5楽章の感興の高まりは圧巻。特に弦楽群がものすごい情熱を込めて演奏に打ち込んでいて、見ているだけで胸が熱くなる。やっぱりベルリン・フィル、すごいオーケストラだった。アンコールはなしだが、楽員が引き上げてからも会場はオール・スタンディング・オベーション(クラシックでは初めて見た)。ラトルは二度もステージに呼び戻され、熱狂的な歓声を浴びていた。

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