三階右サイド前列、舞台全体を斜めから見る位置で、サウンド面でも視覚面でもなかなか良席。ロイヤル・フィルを生できくのは初めて。西本智実としても、日本でタクトを振る公演では恐らく初のメジャー・オケかもしれない。もっとも、ロイヤル・フィルは日本人指揮者と相性の良いオケで、かつて小泉和裕がロンドンにおける定期で大成功を収め、新聞に載った事もあった(楽団自主レーベルから録音も依頼された)し、井上道義や広上淳一とのレコーディングもかなりある。会場はほぼ満席で、一階の中央通路や二階、三階にもパイプ椅子で補助席を作っていて大盛況。一階最後列には立ち見の人もずらりと並んでいる。西本ファンも多いのであろう。 一曲目の序曲は、上品な演奏。私の場合この曲は、打楽器を派手に打ち鳴らしたアーノンクールのディスクで刷り込まれているので、例のトルコ軍楽隊風の打楽器が、いかにも抑制がきいた雅な感じに処理されているのを聴くと少々違和感がある。ラストの音の切り方は様になっていて、モーツァルトのイディオムも難なく自分のものにした印象。編成が小さいせいか、弦のアンサンブルなど幾分弱い感じも受け、トゥッティの響きも舞台上で小さくまとまっているが、モーツァルトだとこんなものだろうか。 コンチェルトは、私の好きな20番。私達の席からだとケンプの顔だけが見えて、手元は見えないが、柔らかいタッチで細やかなニュアンスを表出している様子。モーツァルトとはいえ、頭を振って結構激しく弾いている。指揮者は、ソリストの方をほとんど見ないが、ピアノのみの箇所でも脇に降ろした指揮棒を要所要所で動かして、テンポをキープしているのが印象的だった。バトン・テクニックはしなやかで、やはりモーツァルトとしては感情的に入れ込んだ演奏。指揮台の後ぎりぎりに置かれたピアノに、時折もたれたりしていた。オケもあまり音量を出さない演奏で、木管パートには響きにさらなる美感が欲しい感じ。 後半はマーラーの大曲。これが、ものすごい演奏。冒頭、トランペットのソロが途中からちょっと走ったかなと思ったら、指揮者がタクトを激しく一閃、絶妙のタイミングでフル・オーケストラの轟音が入ってきた。ぞぞ〜っと鳥肌が立った。前半の優美な印象が嘘のように、底力のあるラウドなサウンドである。西本智実のテンポは速めの箇所が多く、時に走り気味に聴こえたりもするが、どうやら意図的に音楽を不安定な状態に置いているようで、どこかサイモン・ラトルの果敢な表現ともイメージが重なる。 その上この人、こんなに自在な指揮をするタイプだったかなというくらい、棒の動きがしなやかで音楽の流れを作るのがうまい。感情の起伏が激しいマーラーの作品は、この人の資質に合っているのかもしれない。ブーレーズに代表される、透明な音響でスコアを解析するマーラーとは違い、ドラマを構築してゆくタイプのパッションに溢れた演奏である。各所で音楽を煽るティンパニの強打も鮮烈。 オケは、ブラス・セクションのパワフルなパフォーマンスは勿論、弦の美しさに惹かれた。かつてこのオケは弦が弱いと言われた時期もあったが、サイモン・ブレンディス率いる弦楽セクションは艶やかで繊細、第4楽章などエモーショナルで素晴らしいパフォーマンスだった。逆に、弱いと感じたのは木管群で、フルートなど音色に洗練を求めたい所だし、オケ全体としても、管を中心に最弱音があまり聴かれないのはウィーク・ポイント(指揮者のせい?)かも。パワーはもう充分で、ホルンやクラリネットなど、ベル・アップで朗々と吹きまくる場面も多発。 この指揮者のマーラーは未知数だったけど、見事な構成力で尋常ならざる雄大なクライマックスを構築、ホール全体が鳴動するかのようなトゥッティの後、アッチェレランドを掛けて一気にコーダを締めくくった途端、すさまじいブラヴォーと拍手がきた。一階席は半数近くの聴衆が立ち上がったようで、二階、三階席でもスタンディング・オベーションが出ていて、指揮者も会場の様子にびっくりしたのかしばらくそのまま立ち尽くして、なかなか袖に引っ込まなかった。この曲は三年ほど前、西本智実の兄貴分でもあるゲルギエフとマリンスキー劇場のオケで聴いたけれど、今晩の演奏は彼らとは較べものにならないほど凄いマーラーだった。 |