大野和士 指揮

フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団

曲目

ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲

ストラヴィンスキー/バレエ《火の鳥》組曲

プロコフィエフ/バレエ《ロメオとジュリエット》より

2009年11月6日 滋賀県立芸術劇場、びわ湖ホール

 個人的に、日本人演奏家では特に高く買っている指揮者、大野和士。生演奏は初めて、と言いたい所だが、実はまだ青年だった頃の彼の指揮に接した事がある。1984年5月(私が中学生)、西宮交響楽団という市民オケの定期演奏会。1曲目は団員の指揮による《こうもり》序曲で、大野青年はチャイコフスキーの幻想序曲《ロメオとジュリエット》、ブラームスの4番を振った。中学生の耳にもはっきり分かるほど1曲目の時と音が変わり、パッション溢れる熱いパフォーマンスは後々まで強い印象を残した。

 それから十年後、ザグレブでの活動で彼が注目されはじめた時、それが西宮で聴いた指揮者と同一人物であるとは最初、気がつかなかった。以来、世界中のオペラハウスにおける彼の活躍は目覚ましい。今回は、彼が今一緒に仕事をしている、リヨン歌劇場のオケと来日。二年前に準・メルクルとやってきた国立リヨン管弦楽団とは名前がほとんど一緒でややこしいが、今回の団体は、ジョン・エリオット・ガーディナーが83年に創設した歌劇場専属オケ。

 それにしても、神戸は勿論、大阪からも遠く離れたびわ湖のほとり、それも平日の公演とあってか、客入りは6〜7割くらいで、印象としてはガラガラ。寂しい限りである。私達は、二階左サイド席前方の良席で、二階といっても一階後方ブロックと地続きで同じ高さ。

 一曲目はドビュッシー。冒頭のソロを吹くジュリアン君は、パンフレット掲載の大野氏のインタビューによれば、「笛吹きジュリアン」というテレビ番組でフランス全土に知られた人気フルーティストとの事。大野氏の指揮はしなやかで、時折プルプル震えたりする箇所を除けば、歯切れも良い。

 二曲目の《火の鳥》は、1911年版というあまり聴かないヴァージョン。前半部分から多く素材を採り、《カスチェイの踊り》で終了する版だが、この日は全曲版から《子守唄》《カスチェイの目覚め》《カスチェイの死》《フィナーレ》を続けて演奏。全体のバランスとして、冗長な感じになってしまうのが残念で、やはり有名な1919年版はよく練られているというのが率直な感想。

 演奏は悪くないが、このホールは音響に問題があるようで、音がステージ上で既に反響してしまって、こちらには間接音しか届いてこない感じ。京都コンサートホールも、サイド席では同じような印象を受ける事がたまにあるが、ステージからそれほど遠くない席なのに、全てが遠くで起こっているという感じで、演奏者との一体感が得られないのは残念。

 後半はプロコフィエフ。見事な演奏だが、ホールのせいか、どこか他人事。特にトゥッティの響きが、完全に飽和してしまう。滅多に来ないホールなので、演奏者のせいなのかホールのせいなのか、現段階では不明である。選曲は、第1組曲から3曲、第2組曲から6曲、ほぼ続けて演奏している。指揮者の演出力が光る名演と聴こえたが、出来れば違うホールで聴いてみたい感じ。それと、大野氏の指揮は、通常強調されるフレーズやアクセントを素通りする事がよくあり、煽り気味の速いテンポとも相まって、作品のリズムが本来持つビート感を弱めている場面も散見された。それにしても、改めて《タイボルトの死》の技術的大変さを思う。弦楽セクションの奮闘ぶりに拍手。

 この曲は、ストーリー順に抜粋してラストに《ジュリエットの墓前のロメオ》を持ってくるケースがほとんどだが、ライヴでは全曲版のエンディングを持ってきてもいいんじゃないかと思う。数年前のデュトワ/チェコ・フィルの時は、「え? これで終わり?」というあっけない締めくくりだった。今回は全曲版の音素材を少し繋げているが、やはり寂しい終わり方で、あまりブラヴォーも起こらなかった。最近はちらほらスタンディング・オベーションをしている人も見かけるが、客席の盛り上がりもイマイチな感じ。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第1番。こういう曲の方が分かり易いのか、左右に揺れたり、手元で小さく指揮をしているおばちゃんがあちこちに居た。

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