四年前、フェスティバルホールで聴いて以来、二度目のチェコ・フィル。ブロムシュテットもゲヴァントハウスと来日した四年前以来、二度目。前回はシャルル・デュトワという、このオケのイメージからすると対極のタイプの指揮者だった上、曲目もストラヴィンスキーとプロコフィエフで、必ずしもチェコ・フィルらしい選曲ではなかったが、今回は彼らの定番曲、新世界とブラームスという、堂々たるプログラム。席は三階の右サイド、指揮者の後方斜め上から見下ろす感じのポジション。 技術的にすごいとかそういう事よりも、演奏家達が積み重ねて来た時間と経験がそのまま表れたような、これが私達の伝統です、という演奏。チェコ・フィルの響きは、決して派手さ、華やかさを備えたものではなく、むしろアナログ的にくすんだ色彩ではあるが、その暖かみと優しい風合いには、えも言われぬ魅力がある。人肌の温もりと、こっくりとした古風な色合い、そこはかとない懐かしさ。生演奏でそういう事を感じた団体は初めてかも。 新世界なんてすこぶるポピュラーな曲だから、どこの国の演奏家も見事に演奏しているように聴こえるが、実は演歌を欧米の歌手が歌っているようなものなのかも(ドイツや他の国の音楽もそうだけど)。自分の国の言葉を話すように、チェコの言葉で語られたドヴォルザークは、やはり最も自然なのだろう。 指揮台を置かず、暗譜で振るブロムシュテットの指揮がまた素晴らしい。一切の虚飾を排しつつも、これこそが音楽の喜びという豊かな感興の溢れる表現。演奏前後のオケの人達とのやりとりを見ていても、客演指揮者ながら、この人が楽員からいかに暖かく迎えられているかがよく分かる。両曲共に第1楽章の提示部をリピートしたが、これもライヴでは珍しいのでは。 ドヴォルザークは無理のないテンポで、オケ主導のパフォーマンスといった感じ。第1楽章のフルート・ソロなど、なんともノスタルジックな情感が漂い、この曲があまり好きじゃない私でも思わずホロリときてしまう。ブラームスは、特に両端楽章で、アウフタクトなしでいきなり振り下ろすブロムシュテットの棒では入りが難しそうだったが、ちゃんとアインザッツは揃っていた。テンポは速めで、様式感の強い引き締まった造型ながら、旋律線が流麗でよく歌う演奏。終楽章のホルン・ソロが、音色、フレージング共に素晴らしく、続くトロンボーンのコラールも深い響きに魅了された。コーダの白熱もさすが。 アンコールはハンガリー舞曲第1番。通常、勢いにまかせてぐんぐん弾き倒す演奏が多いが、彼らの演奏は実に丁寧な、落ち着いたもの。ずばり、愛だ。ブロムシュテットはいつも、オケを立たせた後、弦楽セクションの奥へ一歩下がって、楽員と一緒に拍手を受ける。人柄が滲み出ている。やはり、愛だ。聴衆は、オケが退席した後も、ほぼ全員がその場に残って熱烈なスタンディング・オベーションで彼を迎えていた。客席が総立ちでブラヴォーを贈っている図は、ちょっと見た事がない光景で、壮観だった。 |