第18回ABCフレッシュ・コンサート

現田茂夫 指揮

大阪フィルハーモニー交響楽団

松川文子(ピアノ) 桝貴志(バリトン)

曲目

ベルリオーズ/序曲《ローマの謝肉祭》

ショパン/ピアノ協奏曲第2番

ロッシーニ/歌劇《セビリアの理髪師》〜“私は街の何でも屋”

ヴェルディ/歌劇《ドン・カルロ》〜“終わりの日が来た”

レスピーギ/交響詩《ローマの祭》

2010年2月11日 大阪、ザ・シンフォニーホール

 既に18回も行われているこの催し、私は今回が初めて。実は、新聞で募集していた無料招待チケットに当選したのである。もっとも、プログラムには興味があって以前から注目はしていた。《ローマの祭》を生演奏で聴いた事がないので、一度聴いてみたかった。ショパンのコンチェルトも、人気曲のはずなのになぜか1番共々、生で聴いた事がない。

 しかし、大勢招待された(確かペアで500組?)とあってか、正にタダほど高いものはないという無惨な一日。まず、数日前から春のような暖かさが続いてたのに、ここに来ていきなり激しい風と雨、気温も一気に真冬へ逆戻りである。座席は二階の三列目で悪くはなかったが、近くの子供が、最初から最後まで立ったり座ったり、大きな声で喋り出し、傘を振り回しては落として大きな音を立て、うるさいことこの上なし。係員も対処して欲しい。父親も父親で、子供が音楽に全く興味を示してない事は前半で分かった訳だから、後半は帰るべきではなかったか。子供は退屈するし、親の自分も大変だし、周囲も大迷惑、演奏者に影響を与える可能性もあり、誰一人トクをしない結果である。

 さらに、ショパンの途中、一階席で携帯電話が鳴った。すぐに席を立ってくれればいいものを、相当回数鳴らしたようでもうグダグダ。もう一つおまけに、《ローマの祭》では指揮者が棒を振り降ろし、オケが音を出す直前の一瞬、子供が大きな声で父に話しかけて冒頭から台無し。しかもこの曲の直前から妻が腹痛を訴えはじめ、結局25分間、最後まで耐えきれるか心配しっぱなし。こんな調子で、演奏なんて全く頭に入ってこなかった一日。タダで演奏会を聴くというだけで、これほどのバチを当てられなければならぬものか。

 松川文子は桐朋出身の新進で、音の美しさが際立って選出されたとの事。しかし、子供の動きがせわしなく、気を取られて全然鑑賞に集中できず。驚いた事に、曲の進行すらほとんど記憶に残っていない。桝貴志は、既に二期会所属でオペラの舞台に立っている人で、声も太く、実力派の雰囲気。客席から歌いながら登場して会場を沸かせる余裕もあり。舞台衣装みたいな服が目を惹くも、ヴェルディでは曲に合わせて黒っぽい衣装で再登場。

 レスピーギは、1曲目の《ローマの謝肉祭》に呼応させたプログラムだと思うが、これがまたグダグダ。今度はグダグダなのは演奏者の方で、トランペット、ホルン、《主顕祭》のトロンボーン・ソロと、最後までミスの連続。ここまでミスが常態化すると、高音部など完全に吹き損ねてしまって、もう違う旋律に変わっている。雑踏の中に聴こえるラッパの派手な動きなど、ミスを恐れてか音量が弱い上に、ハイトーンを全部吹き損ねるので、作品のポリフォニックな効果が全く出てこない。今回初めてこの曲を聴く人が、元々こんな曲だと認識するかと思うと恐ろしくもある。

 実は私、高校生の時、吹奏楽コンクールでこの曲に関わった事がある。コンクールの自由曲というのは、その夏の間、もうイヤになるくらい何度も何度も演奏するものである。しかし、仲間のトランペッターはあのハイトーンの動機を毎回派手に吹き鳴らしていたが、長い練習期間を通じてミスをした回数はごく僅かであった。勿論、うまいと評判の男ではあったが、それでもただの高校生である。私はトロンボーン奏者だったから言わせてもらうが、《主顕祭》のソロは、別に難しいテクニックを要求されるソロではない。私は担当ではなかったが、ソロを吹いた仲間がミスをした所も、ほとんど聞いた事がない。

 大阪フィルは、日本のオケでも特にミスが多いような気がする。西宮の芸文センターのオケなんてメンバーはみんな新進奏者なのに、いつもノーミスの演奏で驚かされる。世界のどんな有名オケでもイージー・ミスはやはり存在するが、聴きに行く度にミスの連続でがっかりさせられるというのは、給料を貰って毎日練習に打ち込めるプロ、客からお金を取るプロとしてはいかがなものか。少なくとも20年以上前の、コンクール地区予選止まりの高校生バンドよりミスが多いなんて、私にはちょっと容認し難い。

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