東日本大震災後、初の大規模な来日バレエ公演との事。同団はチャリティ公演も追加して引っ越し公演を敢行したが、芸術監督のデヴィッド・ビントリーは昨秋から新国立劇場バレエ団の芸術監督も兼任、自身も3月11日に東京で震災を体験したそうだ。とにかく海外アーティストの来日中止が相次いでいるので、今回の公演は観られるだけでも有り難い事なのだろう。 私はバレエに詳しくないのでバーミンガム・ロイヤル・バレエに関する予備知識は全然なかったのだが、名門の英国ロイヤル・バレエ団と姉妹関係にあり、かつてはマーゴ・フォンティーヌや吉田都も在籍していたとの事。振付のフレデリック・アシュトンは88年にもう亡くなっているが、英国バレエ特有の優雅で繊細な「ロイヤル・スタイル」様式の礎を築いた、凄い人らしい。 今回は、選曲が素晴らしいので観に来る事にしたので、個人的には音楽がメインという感じ。1曲目はラヴェルの《ダフニスとクロエ》。私の大好きな全曲版だが、これはコンサートのプログラムに載るのを見た事がなく(海外ではライヴ盤が出たりするが)、バレエ公演としても今回がなんと日本初演だという。 そんな、日本バレエの歴史に一歩を記す記念碑的公演でつくづく残念なのは、度々書いている事だが、このホールのオーケストラ・ピットが狭く、大編成のオケを収容しきれない事。私達の座席は二階右サイド席の舞台寄りで、舞台は一部見切れるが、オケピは斜め上からよく見える。そこで気づいたのは、ただでさえ少ない弦楽セクションの内、チェロとコントラバスの姿が見当たらない事。音は僅かに聴こえているのでゼロではないのだろうが、恐らく各一人か二人ではないだろうか(私達の席からは見えず)。これでは音に厚みや広がりが出ないのは当たり前だ。 しかも、この曲ではすこぶる重要な合唱パートを完全カットしている。舞台袖に配置するなど他に方法は無かったのだろうか。さすがに第二部冒頭のアカペラ部分は何らかの処理がいる筈だと思っていたら、録音したものをスピーカーから流した様子。オケは好演奏ながら、ホルンとフルートの人がさすがに後半ヘロヘロになってミスを連発。改めて、やたらとフルート・ソロが多い曲なのだなと分かる。 美術セットはシンプルながらちゃんと古代ギリシャっぽくしている一方、衣装がなぜか現代の若者風で、ウェスト・サイド物語みたい。どんな優美な振付けかと注目していたら、妙に可愛らしかったりコミカルだったりして、イメージと全然違った。まあドルコンの踊りが設定通り滑稽なのは分かるとして、普通の群舞でも、ゆったりした曲なのに男性達がかかとでトントンと合いの手を入れたりして、かなり笑える。あと、海賊からダフニスを救うために現れるパンの神が、普通の人間サイズで、そんなものかなあと思ったりもする。まあ元々バレエにはあまり詳しくないので、主役級二人の踊りも「いいんじゃないの」という感じ(ちゃんとしたレビューを求めて読まれた人がいたら、スミマセン)。 最後の全員の踊りは、さすがに大勢のダンサーで舞台を埋め尽くして見応えあり。ラヴェル特有の、あの押しては返す狂気の波のような音楽も、バレエ付きで見ると踊りのための緩急なのかなと、説得力が増したりする。 後半はメンデルスゾーンで、ガラリと雰囲気が変わる。近代フランスとドイツ・ロマン派の音楽的距離を思う。元は劇の付随音楽だが、今回は英国のバレエ指揮者ジョン・ランチベリーが編曲したバージョン。原曲をあちこちに継ぎはぎして、なかなかドラマに合った展開を作り上げているが、なにぶん原曲が短いため、同じ曲をあちこちに使って重複が目立つし、全体の構成としても、原曲をよく知っている人にはかなり違和感があると思う。 こちらはピットの最後尾に、西宮少年合唱団がびっしり二列に並んで登場。少年合唱団とはいいながら、男の子は見た所一人しかいない様子。客席からはあまり見えないのに、ちゃんと制服を着て大人しく座っていて可愛い。コーラスが入るとピットの響きも一挙に華やぐが、いかんせん彼らが歌う曲も、二曲ほどの繰り返しなのが残念。 舞台上のパントマイムは、客席から笑いも取っているが、シェイクスピアの原作を知っているから笑えるのか、逆に原作を知らないけど動きからストーリーを読み取っているのか、いずれにしても文化的造詣の深いお客さんである。主役級二人は佐久間奈緒&ツァオ・チーという東洋人プリンシパル。かつてはバレエというと、西洋人と日本人の肉体的ハンディが絶望的に存在する感じだったが、この二人は遠目にも全く素晴らしいパフォーマンスで、言われなければアジア人には見えなかった。 |