一週間前の連休から間を置かず、別の用事で横浜にやってきた為、東京に一泊して一人でオペラ鑑賞。急遽入手したチケットなので、安い席から既に売れており、早くもチケット代の自分史上最高値を更新してしまった。今後、よほどの事がない限り、二万円を超えるチケットは買わないようにしようと心に誓う(そうは言っても、来年以降にスカラ座とウィーン国立オペラの来日予定があるのだけれど)。NHKホールも今回が初めて。三階席だが、広くて観やすい(だからと言ってこんな法外な価格設定を認めるつもりはないが)。 誰にとっても不満は大きいのか、開演のベルが鳴り、空席に誰も来ないと分かった途端、多くの観客が大移動を始めている。大規模すぎて、ホールの係員も黙殺するしかない様子。平素はこういう事をやらない私も、今回は一人きりだし、チケットが余りに高価だった事もあり、二幕目から前列ブロックへ移動。それだけ席がたくさん空いているのだし、暴挙という他ない値段に対して最低限の元を取ろうと思うとこうならざるをえない(ウィーンのホールではみな当たり前にやっていたけど)。 今回は、主役のヨナス・カウフマンが降板したにも関わらず、チケット払い戻しなし、一部返金もなし、プログラムの無料配布もなしである。代役はヨハン・ボータなのでまあ納得できるが、問題は直前に報じられた団員400人中、100人が放射能の脅威を理由に来日を拒否した事。スタッフなのか、出演者なのか、どの比率で100人なのかは不明だが、その人達を責めるつもりはない。仕方のない事だとも思う。しかし、出演歌手のギャラは知名度によって違う筈だし、新たに何人のスタッフを雇用するのか知らないが、少なくとも当初の計画よりはぐっと人数が減っている筈である。であれば、彼らの給料やギャラ、浮いたコストは一体どこへ消えたのか? 主催者の懐へ?というのがこちらの疑念である。少なくとも、チケット購入者に1円も還元されないのは、おかしいと言わざるを得ない。 憤りはこのくらいにして、公演の感想。まず、大容量のピットの響きが素晴らしい。コントラバスなんて、8人か9人並んでいる。そのせいか、豊かな重低音を基調に、柔らかな弦の響きが美しい、これぞドイツ・オケという充実したサウンドが響き渡る。ブラスを伴うトゥッティの響きも深みがある。ペラペラの音でワーグナーを聴かされたらどうしようと思っていたが、これには大満足である。 それでいて、響きが透明なのはケント・ナガノの美質。旋律線も美しく、ローエングリンがテルラムントを倒す箇所など、ティンパニを強打させてメリハリも効いている。彼が得意にしている演目でもあり、構成力は見事なもの。音楽の表情の変化にも敏感で、重厚壮大な昔ながらのワーグナー像が苦手なリスナー(私のこと)にも充分アピールする演奏になっている。例えば有名な第三幕への前奏曲も、腰の重い演奏が多い中、ナガノの表現はフットワークが軽妙そのもので痛快。フレージングなど、ほとんどオシャレな感じすらする。こういうワーグナー演奏はどんどん出てきて欲しい(重厚なのはもう充分あるので)。 歌手はさすがの出来映えで、代役ヨハン・ボータは丸々とした体型こそ白鳥の騎士っぽくないが、貫禄の名唱で客席を圧倒。エルザ役のエミリー・マギーがやや弱い感じもする一方、ワーグナー歌いのベテラン、ヴァルトラウト・マイヤーは演技力の高さも相まって素晴らしいパフォーマンス。合唱もお見事で、マスゲーム的で多彩なフォーメーション作りを強いる演出にも屈せず、視覚面と音楽面を共に満足させる力演。 演出のコンセプトとしては現代夫婦のささやかな夢と崩壊といった感じで、幕が進むごとに最初は設計図だったエルザのマイホームが出来上がってゆき、最後に完成した家にローエングリンが火を放つというもの。作品のテーマを巧みに抽出した演出で、読み替え系としては私は悪くないと思うが、本国ドイツでは大変に不評で、演出家に激しいブーイングが浴びせられたという。白鳥の騎士が大工として登場し、労働者の夢の崩壊を描くこの演出は、ミュンヘンの人々の神経を逆撫でしたそうな。 もうひとつ苦言。今回の公演プログラムは三千円もしたが、ずっしりと重い冊子を開いてみれば、延々と関係者の挨拶ページが続き、歌劇場の解説は申し訳程度に数ページだけ、出演者のインタビューは一切なし。しかも95%日本語のパンフレットなのに、各作品の英語シノプシスのページが見開きで入ってくる(日本語を読めない人がこのページだけのために三千円のパンフを買う訳ないでしょうが)。メトやボローニャの来日公演で出演者交替のお詫びとして無料配布されたプログラムと較べても、実に無駄の多い内容である。ただでさえバカ高い入場料を取っているのだから、こういう搾取は腹立たしい限り。これなら二千円でも高いくらい。もっと無駄を省いて安価にするべきだと思う。 |