オケも指揮者も始めての生鑑賞。座席は三階右サイド席(RD)、トロンボーン辺りの金管がやや見切れる以外は全体がよく見える良席。パリ管弦楽団を聴ける、それもフランス物を聴けるというので、この冬一番楽しみにしていた演奏会だが、結果からいうとパーヴォ・ヤルヴィの恐るべき才能に打ちのめされたコンサート。パーヴォが凄いとはここ数年あちこちで言われていた事だが、これほどの指揮者とは。 オケ登場。不思議なコスチュームで、料理人の服部先生がよく着ているような黒い服の人と、似た感じで前が開いていて、黒くて太いネクタイをしている人がいる。オケの楽員ではあまり見た事がない服装である(佐渡さんの衣装にもちょっと似ている)。弦楽器には例によって日本人女性がちらほらいるが、パーカッションにもメンバー表に載っていないらしい女性奏者がいて、どうも日本人のようである(現地助っ人かもしれない)。 1曲目はメシアン。元々メシアンはあまり詳しくないので、名前だけは知っていてほぼ初めて聴くくらいの曲である。三部構成で、穏やかな前後パートに挟まれて、中間部で激しい盛り上がりを見せるが、この部分のパーヴォの棒さばき、恐るべし。機械のように正確で切れ味が鋭く、独特の緊迫感と見栄えの良さがある。サロネンやヤンソンスなど、北欧やバルト三国にはなぜかバトン・テクニックに秀でた人が多いが、パーヴォもものすごく指揮がうまい人という印象。ラスト、弦のものすごい最弱音の後、長時間の沈黙。息をするのもはばかられるような瞬間の後、拍手が起きた。 最初からピアノをセッティングしてあるので、スムーズに2曲目へ。ソリストのフレイは、写真で見ると自信たっぷりのワイルドなイケメンだが、遠目には、手足がひょろ長い上に小股でちょこちょこと歩くし、態度にも落ち着きが無いので、どちらかというと、ティム・バートンの映画に出てくる気の弱い青年みたいな雰囲気。演奏の方は、座席のせいか、ホールの特性か、ピアノがオケの響きに埋もれがちで、よく分からず。 オケも、管楽器が弦の響きに埋もれる傾向があって、どうもディティールは不明瞭。このホールは、コンセルトヘボウ管の時も同じように感じた事があったので、座席によって聴こえ方が違うのかもしれない。パーヴォは音色を磨き上げる天才として定評があるが、ここではあまりきらびやかなサウンドを作らず、リズムもあまり際立たせずに、全体をまろやかにブレンドしたような演奏。アンコールはバッハ、パルティータ第6番のアルマンド。さらっと弾いて帰っていった。最後まで落ち着きがなかった。 凄いのが後半のベルリオーズ。この曲は、数々の才人が録音していながら、どこかオケのドライヴが徹底せず腰が重かったり、解釈がオーソドックスすぎて肩すかしを食らったりで、なかなか良い演奏に出会わない。生演奏はそんなに聴いた事がないが、90年代にアンドリュー・デイヴィスがBBC響を振って演奏した時は、理想的な演奏だと感じたのを覚えている。 パーヴォは、まずアゴーギクの演出が凄い。部分的なテンポ・ルバートに何とも言えない迫力があり、特に、突然テンポを煽って前のめりの不安定な足取りのままフォルティッシモになだれ込む時の燃え上がり方は凄まじい。それが、作品の持つ熱気と異常なムードにとても合っている。さらに、リズムが軽いのが良い。どういう訳かこの曲は足取りの重い演奏が多いが、こういうフットワークの軽妙な演奏が私には理想的。又、ベルリオーズの革新的なオーケストレーション効果を、完璧に生かしているのに驚く。 第3楽章は、イングリッシュホルンの奏者が裏から出てきて、オケの背後に立って演奏。呼応するオーボエのエコーは、どうも客席背後から聴こえていて、恐らくロビーで吹いているのではないか。それにしても、掛け合いのタイミング、遠近感共に、表現として完璧である。イングリッシュホルンの最後の最弱音も凄い。パーヴォは、後半3つの楽章を続けて演奏。第1楽章は提示部をリピートしたけど、第4楽章では省略した。これが又凄い演奏で、実に緻密にコントロールされているのに、沸き立つような熱気がある。 さらにフィナーレが凄まじい。かつて、個人主義の牙城フランスのオケは、ソロは上手いけどアンサンブルをきっちり揃えるのは苦手と言われてきたが、ここでのパリ管の合奏ぶりは鳥肌もの。特に弦楽セクションの鋭くもしなやかなパフォーマンスは聴き応え満点。チェロ群がギシギシ音を立てながら激しい上昇音型を繰り返したかと思うと、ヴァイオリン群が切っ先鋭く合いの手を入れてくる、その迫力たるやもう! さらに、あちこちで破綻したような奇妙な音を立てる管楽器が、全て精妙なコントロール下にあり、絶妙な効果を上げる凄さ。 怒りの日のチューブラー・ベルは、これも色々な解釈がある中、ここでは割れ鐘のような攻撃的な音色で強打。舞台裏で鳴らしているのを、ステージドアを開けて客席に聴かせる格好だが、その神経に障るほどの強烈な大音声は、これも作品の異常なムードを実に良く表現している。後半は、一糸乱れぬアンサンブルで各所に異様なデフォルメや常軌を逸した不安定なアッチェレランドを挟みながら、驚くべきカタルシスに向かって暴走。客席から凄まじい歓声が上がった。一体、何という演奏を聴いてしまったのか。私もしばらく呆然。 アンコールは2曲。最初はビゼーで《アルルの女》のファランドール。こちらは比較的ノーマルな演奏だと思ったが、山場の盛り上げ方はさすがに上手く、やはり激しいブラヴォーが浴びせられる。2曲目はシベリウス《悲しきワルツ》。ヤンソンスもアンコールでよく取り上げる曲だ。エストニアの指揮者なので北欧物は親近感があるのだろうが、アンコール曲としては暗すぎるかも。パリ管が北欧物を演奏する意外性を聴かせたかったのかもしれないけれど。 |