スカラ座の公演を見るのは初めて。「安い席が取れれば行こうかな」くらいに思っていたら、ちゃんとツーデイズ取れてしまったので、生後10か月の娘と妻を残し、一人で東京へ。一枚だと予約が取りやすいのか、家族に申し訳ないなと思いつつも、せっかくなので思い切り楽しもうと開き直る。そしてこれが、今年の流行語で言えば「倍返しだ!(by 半沢直樹)」というくらい楽しませてくれる最高の公演だった。 公演前に楽屋口の前を通りかかったら、ちょうど到着したハイヤーに出待ちの人々が群がる所だった。誰かなと思ったら、指揮のハーディングが降りてきて皆にサイン。正面入口のすぐ横に楽屋口があるので捕まるのも仕方がないなと思いつつも、つい最近まで駆け出しの若手だと思っていたハーディングが、もうファンに取り巻かれるマエストロになったんだなという感慨に耽る。 《ファルスタッフ》は昔から最も好きなヴェルディ作品の一つなのだが、あまり頻繁には上演されないので、生で観るのはこれが初めて。何せマエストリのファルスタッフ、フリットリのアリーチェというのは、ムーティ/スカラ座、ガッティ/チューリッヒ歌劇場の映像ソフトでも歌っている鉄板コンビであるからして(フリットリはメータ/フィレンツェ歌劇場の映像でも歌っている)、これを生で聴けるなんて幸せ。 フリットリはご当地ミラノ出身でもあるし、東日本大震災の3か月後に行われたメトロポリタン歌劇場来日公演の際に、気さくで暖かい人柄が日本のファンを感動させた事も記憶に新しい。安い席なので5階右バルコニーの後列だが、ピットの中もよく見えるし、舞台上のセットも全体がよく見渡せて、さほど悪い席ではないというのが実感。音もよく聴こえる。 初めて生で聴くハーディングの指揮は、強弱やアーティキュレーションの変化に細かく対応していて、なかなかの完成度。スケールの壮大さも出ている。オケにとっては次から次へととにかくやる事の多い曲だが、スカラ座のオケは想像以上の上手さで、見事なアンサンブルを披露。室内楽的な効果を狙って小さくまとまった演奏も多い中、ハーディングは思い切りの良いフォルテを盛り込んでパンチが効いている。この曲は、オケの鳴りっぷりが良いと痛快だ。 歌手陣は、やはりマエストリとフリットリの黄金コンビが自在な呼吸でさすがの貫禄だが、他の若手歌手たちも好演。特にナンネッタ役のルングとフェントン役のポーリは美声で、第3幕の聴かせ所のアリアもそれぞれ素晴らしいパフォーマンス。最終日のせいか演技もみな伸び伸びしていて、バルドルフォが財布のお金を数える「1マルク、1マルク、1ペニー」という歌詞の最後を「イチエン」と日本語で歌うなど、あちこちで笑いも取っている。 特に素晴らしいのが演出。カーセンの舞台を観るのはこれが初めてだが、レビューなどで目にする限りでは極端にシンプルなセットでスタティックな演出を行う人というイメージだった。しかし今回の舞台は実にカラフルで、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかな舞台。人の動きもドタバタしてやや忙しすぎるくらいだが、現代風のセットや小道具もリアリティがあって、しかも造形的に美しい。 例えばガーター亭はホテルのようだし、第1幕で女性と男性のグループがそれぞれ集まる場所もレストランのテーブルになっていて、現代ならこういう状況だろうという、まるで映画を観るような自然さと説得力がある。第2幕後半も、パステル調のカラフルなキッチンが女性の場所(アリーチェの場所)である事を強く示しているし、そこで行われる大捕り物は、大人数で戸棚やクローゼットから食器や衣類をめちゃくちゃに放り出すという、文字通りの大騒ぎを過剰に演出。 今の時代にはあまり使われない衝立ても、クローゼットやテーブルの下で代用。ナンネッタがアイスクリームか何かを食べながら泣いているのも映画風だが、ストップ・モーションやアリーチェが弾くリュートをラジオに変えるアイデアは、チューリッヒ歌劇場のプロダクションで既に見たもの。オペラの舞台でこれだけセットが変わるのは珍しいが、凝っているだけに場面転換も時間がかかるようで、幕間はガタガタする音を聞きながら(イタリア人スタッフはよく喋るようで、大きな声も聴こえてくる)しばらく待たされる事になる。 第3幕は群衆や主要人物の動きが重く、やや歯切れが悪くなる印象だが、本物の馬を登場させたり、スモークを焚いたり、何かと新しいアイデアを投入。素敵なのはラストで、カーセンはフォードの「さあファルスタッフ殿と食事に行こう」という1行の歌詞に着目。私もこれはいい歌詞だなと思っていたのだが、カーセンは歌手が歌い終わってオケのコーダが鳴り響く中、全員で食卓に付いて、立ち上がったファルスタッフに喝采を贈るという演出を加えた。とっちめるだけでなく、最後にちゃんと騎士ファルスタッフの面子を立てる事で、ヴェルディが遺作で示した人間愛を見事に表現。なんかジーンとくるラストである。 残念なのは字幕。現代風に分かりやすく訳そうとしたようで、それが成功している部分もある一方、ナンネッタが両親をパパ、ママと呼んでいたかと思えば終幕で「お父様」に戻っていたりする。特にラスト、「人はみんな他人を笑うが、最後に笑う者が本当に笑ってるんだ」というこのオペラ、ひいてはヴェルディの全作品を総括するような重要な歌詞が、「皆からかわれているんだ」という曖昧な歌詞のリフレインで終了したのは最悪の異訳。これじゃヴェルディのメッセージは伝わらない。 |