アンドリス・ネルソンス 指揮

ボストン交響楽団

ギル・シャハム(ヴァイオリン)

曲目

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

ショスタコーヴィチ/交響曲第11番《1905年》

2017年11月4日 大阪、フェスティバルホール

 3年半ぶりのオーケストラ演奏会鑑賞。ネルソンスは4年前にバーミンガム市響と来日した時以来二度目で、ボストン響に至っては今回が生で初鑑賞。あまり来日しない団体で、もしかしたら小澤征爾時代以来の来日公演では? もうその頃の奏者はあまり残っていないかも。

 1曲目はシャハムとのコンチェルト。彼のディスクはたくさん聴いたけど、今一つ焦点が定まらないというか、どういうヴァイオリニストなのか掴めない感じの人だった。美音でテクニックも見事なので、基本的なスキルは高い感じ。見ているとかなりよく動く人で、ほとんどオケの中に入っていきそうな時もあれば、指揮台の真横に来たりもする。烈しい箇所では足をドンと踏み鳴らしたりもするので、録音で聴くより情熱的な演奏という印象。

 逆にネルソンスの指揮は、4年前はあらゆるフレーズに指揮棒を動かし、少々振り過ぎの傾向があったが、今回はずっと落ち着いていて、指揮台の上をせわしく動き回る事はなかった。彼の円熟なのか、オケが一流だからそこまで振る必要がないのか。副コンサートマスターの女性以下、弦楽セクションの響きがやや虚ろに聴こえたが、次第にこなれてくる感じ。メンバー表を見ると第1ヴァイオリンなど、日本人1名を含めて9割がアジア人のようである、シャハムには大喝采が送られ、アンコールはバッハの無伴奏パルティータ第2番のガヴォット。

 後半はショスタコーヴィチ。最初に曲目を見た時は「第11番?なんで又?」と思ったが、生で初めて聴いてみて傑作だと納得。古くはクリュイタンスやストコフスキーなど、あまりショスタコ指揮者のイメージがない人がよく録音しているのはなぜかと思っていたが、聴いていてぞっとするような戦争交響曲だった。生演奏だと、どのパートが何をやっているか視覚的に理解できるので、曲のアウトラインやディティールが掴みやすい。コンマスもメインのマルコム・ロウに交替。

 ネルソンスは引き締まったテンポ感で、全楽章を続けて演奏。第1楽章なんかもソナタ形式にはなっていないので、作品の本質を衝く構成かも。オケも本領発揮という感じで、最初のトランペットのソロから、朗々とヴィブラートをかけた艶やかな音色とクレッシェンドの見事さにノックアウトされる。凄まじいトゥッティを突き抜ける、ピッコロの女性奏者の活躍も目覚ましい。あと、全編で鮮烈なパフォーマンスを繰り広げるティンパニと打楽器の迫力たるや! 特にバスドラムは音色もバランスも素晴らしい。

 指揮は技術的に卓越し、大編成のオケを完璧にドライヴしているし、今回特に感じたのは弱音部とスロー・テンポの見事さ。遅いテンポをキープするのは指揮者もオケも難しいものだが、ネルソンスは強靭な集中力でテンポをコントロールし、音楽を間延びさせる事がない。しかも強音部でもタイトな造形センスを示し、スポーティーなリズム感が躍動していてフットワークが軽快。ただ、第4楽章冒頭の動機は遅めのテンポで強調する一方、全編に散りばめられた革命歌を特段クローズアップさせないのは、若い世代らしい解釈。

 それにしても、この曲の緩急の起伏はそのまま「血の日曜日事件」の群衆の心理状態のようで、聴き手の心を震撼させるに十分という感じ。静寂の中に弦の混乱した動きが導入され、軍隊の影が近付いてくるたびに、「アイツらまたやって来たぞ」とうんざりするような不安と恐怖を感じずにはいられない。そしてラスト。怯え、逃げ惑う群衆の中に、破壊的なパワーで突進してくる暴力的で長大なクレッシェンドの、何という恐ろしさ!

 アンコールは、まずネルソンスが持ち前のバリトンヴォイスで挨拶。日本の聴衆の素晴らしさに感謝し、ホールが大きくて立派だと称え、曲はショスタコーヴィチの珍しい組曲《モスクワーチェリョムーシカ》からギャロップ。オペレッタから編んだという組曲で、自宅のCD棚を確かめたらシャイー/フィラデルフィア管のディスクが一枚あるだけだった。凄くはっちゃけた面白い曲なのに、なんでこんなマイナーなのだろう。オーケストレーションも多彩だし、オケも生き生きと演奏して大喝采。サービスでもう1曲。バーンスタインのディヴェルティメントから第2楽章。弦楽セクションのみの演奏で、ウィーン風の洒落た感じのバラード。

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