マリス・ヤンソンス 指揮

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

曲目

ストラヴィンスキー/バレエ《ペトルーシュカ》

チャイコフスキー/交響曲第6番《悲愴》

2004年11月13日 京都コンサートホール

 妻は勿論初めてだが、私も海外のメジャー・オーケストラは本当に久々で、数日前からワクワク。ちなみに私は、ヤンソンスもコンセルトヘボウもペトルーシュカも生できくのは初めて。一万二千円のチケットはほぼ中間の価格帯だが、オケの真後ろ、ほぼ右端の座席である。打楽器やコントラバス奏者はすぐ目の前、数メートルの距離。ザ・シンフォニーホールで何度かこういう席になった事があるが、オケの中に入って聴くような全身に響く迫力があるし、奏者の細かな表情まで見えたり、指揮者を正面から見られるなど多くの利点がある。個人的には好きだが、サウンドとしてはものすごくバランスが悪いに違いない。管楽器は全て正面の方を向いているし、打楽器の音が近すぎて腹にまでずしりと響く。

 コンセルトヘボウは大好きな団体だが、もう、のっけから魅力満開の音で、すっかり舞い上がる。なんでこんな音が出るのか。生で聴いたらそうでもないのかと思っていたら、とんでもない。正にあの、柔らかくて生き生きとフレッシュな、コンセルトヘボウ・サウンド。ヤンソンスは、遅めのテンポであちこちに濃厚な表情付けや演出を施しているが、生で聴くとそれくらい過剰な表現が丁度よい。第一場のフルート・ソロを吹く魔女みたいな女の人なんて、自由に節を付けて見事な吹きっぷり(*後で知ったがこの人、エミリー・バイノンはソロ・アルバムまで出している名手)。緩急の激しい、ドラマティックな《ペトルーシュカ》だが、ラスト近く、ペトルーシュカの幽霊が現れる辺りの、フルート二人による最弱音の合いの手には仰天。およそどんな楽器でも、最弱音というのは最も難しい技巧を要するものだ。

 後半は《悲愴》。ストラヴィンスキーをきいた後だと、さすがに響きが混濁する感じだが、これも当然か。優れた演奏だとは思うけど、前半のインパクトが強すぎたせいか、つい集中力を欠いて翌日の仕事の事が脳裏に浮かんでしまった。それだけ《ペトルーシュカ》が凄かったという事かも。フィナーレ、冥土への旅路を思わせる苦しい音楽が、力尽きるように消えていく所、ちゃんと集中して聴いたら、終わってもしばらく呆然としてしまうものなのだが、残念ながら客席から拍手のフライング。ヤンソンスがまだ動かないのを見て、いったん拍手が止み、どよめきとも笑いともつかない声が会場に響く。京都のお客さん、一旦拍手したんなら、もう止めない方が良かったんじゃないかな。

 アンコールはシベリウスの《悲しきワルツ》。さっきの名誉挽回とばかり、水を打ったような静寂につつまれた中での演奏。短い曲ながら、指揮者の演出巧者ぶりが光る好演。アンコール、もう一曲。ワーグナーの《ローエングリン》第3幕への前奏曲。ワーグナーが苦手な私の、数少ない愛好曲で派手に終了。ヤンソンスと楽員の皆様、お疲れさまでした。京都観光でも楽しまれるのかと思いきや、昨日は東京で明日は名古屋。忙しいスケジュールだ。

まちこまきの“ひとくちコメント”

 ペトルーシュカは、予習で何度も事前に聴いていたけど、正直あまりピンときていなかった。それが、生で聴いて、一挙に曲の良さがわかってしまった。生ってすごい。色彩豊かな音色が、次から次から生まれてきてる感じ。楽しくわくわくする演奏。とくにフルートのお姉さん。一人で観客全員を魅了したと思われる。次に悲愴。始まった途端に、ヨーロッパ・オケの伝統のようなものがぐわーっと押し寄せてくるようで、寒いぼ鳥肌。これだったのか、と、何かわからないが掴んだ気がした。アンコールも含め、ヤンソンスの指揮には魅了されっぱなし。どえらいものをいきなり見てしまったのではないだろうか。忘れられない感動の日となった。

Home  Top