近年最も話題を集めたオムニバス映画がこれです。ルールは一作10分である事。本作トランペット篇と、別欄でご紹介しているチェロ篇、2本合わせて15人の監督達は、人数の点でも、顔ぶれの点でも、映画ファンの度肝を抜くラインナップだと言えるでしょう。メジャー系、インディペンデント系を問わず、世界各国から巨匠クラスの映画監督がこぞって参加し、中にはヴィクトル・エリセのような、映画ファンの神様みたいな存在なのに滅多と映画を撮らない幻の監督まで作品を寄せています。その上、カウリスマキやヘルツォーク、ジャームッシュなど、一部のファンに支持されながらも、全国ロードショーやオムニバスではほとんど名前を見かけないような、マニアックな人選も目立ちます。 公開時には、各館で全15作品の人気投票を行うというキャンペーンも張られました。私は結局、開票結果を知らないのですが、トランペット篇とチェロ篇から一作ずつ選んで投票箱に用紙を投函したのを覚えています。私達は大阪・梅田スカイビルの映画館へ公開初日に観に行きましたが、自由に感想を残せるホワイトボードが入口に設置されていて、映画館を出る時には早速「10分でもやっぱりカウリスマキ!」「エリセはやっぱり凄かった!」などと書き込みがありました。 冒頭を飾るのは『マッチ工場の少女』『浮き雲』など独特のタッチで知られるフィンランドの奇才アキ・カウリスマキ作品。カンヌでグランプリを受賞した『過去のない男』の主演コンビが再び登場、刑務所から出所したばかりの男がプロポーズをして二人でモスクワ行きの列車に乗るまでを、10分間の出来事として描いています。淡々とした寡黙なやり取りや古色蒼然とした映像感覚など、隅から隅までカウリスマキ・ワールド全開の一編。 続いては全世界の映画ファンを驚かせたヴィクトル・エリセの登場。『ミツバチのささやき』『エル・スール』という映画ファンにとっての至宝を残しているこのスペインの映像詩人は、10年に1作という恐ろしく寡作な映画作家としても知られています。スペインの片田舎、第二次大戦突入前の不穏な空気も漂う、ある物憂げな午後の出来事をモノクロで描いたこの静かな作品では、ほんのちょっとしたショットにさえ、何十年も傑作として愛されてきたかのような格調高い佇まいが感じられます。凄い短編です。 ドイツの異才ヴェルナー・ヘルツォークが描くのは、彼が過去にも取り上げてきた、文明世界による原始世界の侵蝕というテーマ。近代文明との接触によって滅びつつある、アマゾン奥地のウルイウ族についてのドキュメンタリーです。 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジム・ジャームッシュ篇は、映画の撮影現場、トレーラーで休憩中の女優の10分間をモノクロで描いたもの。頻繁に人が出入りしてちっともリラックス出来ない彼女の状況はユーモラスでも哀れでもありますが、特に何も起きないのにすこぶる映画的な空気が充溢している点は、さすがジャームッシュといった所でしょうか。人気女優クロエ・セヴィニーがほぼ一人芝居で大健闘。 『都会のアリス』『ベルリン・天使の詩』等、映画ファンの間で人気の高いヴィム・ヴェンダースの作品は、砂漠を車で運転中、麻薬でバッドトリップをした男性が命からがら病院にたどり着くまでを描いたもの。ドイツの映画人でありながらアメリカにこだわり続けるヴェンダースですが、ここでもデス・ヴァレーを舞台に選んでいます。ただ、劇場で観た時は、過剰な音響効果に辟易したのを覚えています。 『ドゥ・ザ・ライト・シング』『マルコムX』のスパイク・リー篇は、2000年11月の米大統領選の最後の10分間を関係者の証言で再検討する、モノクロのドキュメンタリー。ゴアの敗因が“運”とマスメディアの情報操作にあった事をスピーディなカッティングで暴いてゆくこの作品は、ラストに向かって興奮と怒りを加熱させてゆき、その想いの強さに圧倒されます。もしもこの時ブッシュが破れていたらその後の世界はどうなっていただろう、と改めて考えさせられる一編。 中国第五世代の旗手チェン・カイコー監督は近年、『始皇帝暗殺』のような歴史物よりも、『キリング・ミー・ソフトリー』『北京ヴァイオリン』など現代の物語にシフトしてきているようですが、本作も高層ビルが建ち並ぶ現代の北京の一角に過去の幻想を垣間見せる、おとぎ話のような一編。最後には大々的にCG映像が展開して華々しいエンディングを迎えます。 こうやって振り返ると構成もなかなか見事になされていますが、連結部分の音楽には、映画のサブタイトル通り、トランペット・ソロ(チェロ篇は勿論チェロのソロ)があしらわれています。ただし、全体の上映時間はこの連結部とエンド・クレジットを合わせても計算より長く、時間を計ったわけではありませんが、恐らく各作品共、それぞれ2、3分ほどオーバーしているのではないかと思います。 |