単行本発売当初、読書家の間で大変な好評をもって迎えられた本書は、カズオ・イシグロ初となる短篇集。寡作であるにも関わらず、私は全てのイシグロ作品をまだ読めてはいませんが、『遠い山なみの光』や『わたしを離さないで』に接した限りでは、どちらかというとスタティックで沈鬱なスタイルの作家という印象を持っていました。そこへ本書を読んだものですから、正に驚きです。 まず作風は親しみやすいし、ストーリーはユーモラスでもあり、まるでドタバタ・コメディのような展開もあったりします。電話での会話のやり取りなどは、主人公の方だけでなく、相手の状況(ここでは空港)も想像させる筆致で、正にコメディ映画でよく見るカットバックの手法を彷彿させる所。それでも、どこかしら文学的な味わいと、それぞれの人生の機微やほろ苦さが巧まずして浮かび上がる点に、凡百の作家と一線を画す洞察力を示します。 サブタイトルの通り、ミュージシャンや音楽好きが登場する物語ばかりで、多彩な設定にも関わらず統一感があるのも非凡なセンス。複数の作品にまたがって登場する人物もいたりします。ばらばらに発表したものの寄せ集めではなく、当初から書き下ろし短編集として綿密に構成されているのは、この作家らしいですね。長編作家イシグロの世界への入口となるかどうかは分かりませんが、読みやすい上に含蓄のある本なので、読書好きには広くお薦めしたい一冊。 |