『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ライ麦畑でつかまえて)、『ナイン・ストーリーズ』のサリンジャーによる長編を、『キャッチャー〜』も手掛けた村上春樹が新しく訳出。帯付きの文庫本を買った人ならお分かりの通り、「いきなり文庫で《新訳》」です。訳者による『こんなに面白い話だったんだ』という投げ込み特別エッセイ(少し長めの解説)が付属していますので、古本を購入される方でこのエッセイも読みたい人は、ちゃんと付いているかどうか要確認。 『キャッチャー〜』は作者の意向により訳者解説がつきませんでしたので、このエッセイは読み応えもあってファン必読です。ハルキ氏は本作を久々に読んで「かなり宗教臭い小説だなあ」と感じた旨を述べていますが、私はそこまでとは思いませんでした。確かに宗教をめぐる話ではありますが、説教臭い内容ではありません。宗教に影響されて行動が破綻しかけている若い女性フラニーと、それを危惧する家族のお話です。 とりわけ私が、アマチュアながら自分も小説を書く身として衝撃を受けたのは、ほとんど会話文だけをメインにして作品を成立させている点でした。本作は大きく分けて、フラニーの章とズーイの章の2パートで構成されています。文庫本で言えば、前者が約100ページ、後者が200ページ。ズーイの章はさらに2つの大きなシーンに分かれていて、それぞれ約100ページ。 驚くのはサリンジャーがそれぞれの100ページを、ほとんど1つのシーン、それも会話を主軸に構成している事です。つまりこの小説は、100ページの会話シーン3つだけで成立している。自分の話で恐縮ですが、私はストーリーを展開させるのは苦手で、ずっとダイアローグを書いていたいと思う方なのですが、本書の味わい深い仕上がりには当然かなわないにしても、果たして自分は会話だけで100ページの場面を構築できるだろうかと自問自答してしまいました。 フラニーの章は、久しぶりに会ったボーイフレンドとレストランで食事をするシーン。彼女の兄であるズーイの章はまず、入浴中のズーイとシャワーカーテンの向こうに居座る母親の会話シーン。風呂から出たいので早く母に出て行って欲しいズーイに対し、母親はしつこく「(最近様子がおかしい)フラニーと話をしろ」と迫ります。後半は、そのズーイがフラニーと話をする込み入った対話シーン。 最初のレストランの場面は、フラニーの価値観や状況と能天気なボーイフレンドのそれが全く噛み合っておらず、案の定、うれしいはずの再会は破綻を迎えます。ズーイのバスルームのシーンはユーモラスで、同時に思索的でもあり、複雑な味わい、最後の兄妹対決はデリケートな問題に抵触しつつ、緊張感を保ってドラマティックに展開します。それが最後に、いかにもサリンジャーらしく、優しくナイーヴなエンディングに着地する辺り、見事な作劇という他ありません。 思えば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』でも、ラストの主人公と幼い妹のシーンが最も暖かな情感に溢れ、読み手の胸に迫るものでした。それを考えると、作者には兄と妹の関係性に特別な思い入れでもあったのかと勘ぐりたくなります。『キャッチャー〜』の方は、主人公ホールデンの人物造形が個人的にどうも苦手で、毅然としていて欲しい局面でいつも泣き出すので辟易させられるのですが、そういった私のような読者には、本書こそお薦めかもしれません。文庫ながら、装丁もセンスが良くておしゃれ。 |