“知る人ぞ知るスイスの作家による、ユニークなアイデアが光る短編集”

『失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選』

 フリードリヒ・デュレンマット  訳:増本浩子 (光文社古典新訳文庫)

 スイスの20世紀文学を代表すると言われる作家デュレンマットの、稀少な短編集。解説を読むと、戯曲を中心に日本でも細々と紹介されていたようですが、色々なタイミングのせいで知名度が上がらず、海外文学のファンでさえあまり名前を知らない作家のようです。推理小説を得意としていたそうですが、本書に収録された4作はどれも、ひと癖あるユニークな中篇という感じでしょうか。

 最初の『トンネル』は、デュレンマット作品中で最も知名度の高い短篇との事。スイスのある駅を出た列車が、トンネルに入ったままいつまで経っても暗闇の中を走り続け、加速してゆくという不条理小説。特異な設定や、何事もないかのごとく振る舞う乗客の描写など、イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティの短篇と似た雰囲気があります。

 次の『失脚』はがらっと変わって、旧ソ連を想起させるある国の最高会議を、AからPまでのアルファベットで表された閣僚達による決死の心理戦として描く、風変わりな初邦訳短篇。粛正の恐怖が場を支配する中、各人のキャラクター描写と立場の変遷を追い、意外な結末へ向かってゆく所、劇作家で、推理小説を得意とした著者の本領がいかんなく発揮されています。ただ読者としては、アルファベットとキャラクターを一致させるのに骨を折るのが難点。

 3作目の『故障』は、車のエンストで田舎町の宿に立ち寄ったセールスマンが、退職した弁護士や裁判官の老人達と出会い、遊びの裁判ゲームに参加するというお話。本書収録の作品はどれも、読者がどこに連れてゆかれるのか最後まで分からないので、独特の緊張感があります。これも、ひねりの効いたオチまで作者に振り回される一篇。

 最後の『巫女の死』は、ソフォクレスのギリシャ悲劇《オイディプス王》をモティーフにした作品。デルフォイ神殿の巫女が、その場の思いつきでデタラメな神託を告げていたという設定で、オイディプスやライオス、イカオステ、ティレジアス、羊飼いに至るまで、登場人物全員がオリジナルの《オイディプス王》と全然違う見解を告白するという、型破りな短篇です。

 要するに、原作で描かれているのはあくまで「見かけ」で、彼らは真実を知っていたり、裏で全然違う行動を取っていたりする訳です。デュレンマットは原作を「結果」と捉え、実際は何があったのかというバック・ストーリーを独自に構成。この辺りはさすが推理小説作家という感じで、登場人物達の告白が矛盾していて、誰が本当の事を言っているのか分からない所は、芥川龍之介の『藪の中』を彷彿させます。

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