下にご紹介している『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリは、初期の航空業界におけるパイロットでもありました。最初は兵役で、除隊後は郵便飛行士として、フランスからアフリカ大陸を抜け、南米に至る航路を受け持ちます。そして彼は44歳の時、第二次大戦中にコルシカ島の基地から飛び立ったまま、地中海で消息を絶ちました。 本書は、そんな彼の体験を綴ったエッセイですが、同じく飛行士としての体験を基に書かれた小説『夜間飛行』と同様、堀口大學の訳で読む事ができます。正直な所、昔の翻訳物には必ずついて回る、あの、直訳的な発想からくる独特の読みにくさがここにも感じられますが、それでも『夜間飛行』に較べればまだ読みやすい、というのが私の印象です。それ以上にこれは、単なるヒロイズムや自己犠牲の精神ではなく、人間という存在の美しさ、人間に生来備わっている崇高さ、偉大さがいっぱい詰まった本です。 サン=テグジュペリが活躍した時代の航空機は、非常に性能の不安定な、飛行自体に大変な危険を伴う代物で、彼の任務は常に命がけでした。しかし、空からの眺めという新たな視点は、彼に、この世界のほとんどが、深い森林や大海原や、そうでもなければただ砂や岩ばかりの、どこにも人間がいない土地である事を教えます。道というのは、どこまでも人間の都合に合わせて作られたものであり、その線に沿った移動しか行わない人間は結局、世界のほんの一面しか見ていないわけです。 印象的な箇所はたくさんありますが、《僚友》という章などは、当事者でなければ到底書けないものでしょう。飛行士が出発するまでの、周囲の微妙な空気感。仲間が消息を絶ったと聞いた時の、その場の雰囲気、人々のリアクション。彼ら飛行士が、見知った人物であろうがなかろうが、全ての飛行士に対して抱く仲間意識、同胞愛が、ここでは、何とも控えめで、静かだけれども、隠しようのない熱っぽさのこもった調子で綴られます。 そんな僚友の一人ギヨメが消息を絶ち、皆がもう諦めた頃に、不時着した雪山から奇跡の生還を遂げる話が出てきます。著者は、ギヨメ生還の報せを受けてすぐさま機に飛び乗り、どうしてその車だと分かったのか自分でも不思議なまま、ギヨメを乗せた車の近くに着陸し、駆け寄って彼を抱きしめます。そこにいる全員が泣いていたというくだりは胸を打ちますが、ギヨメ自身の話も感動的です。彼は、何度も生還を諦めそうになる。死は恐くない。極寒の中、険しい山道を歩き続けるよりも、その場に横たわって目を閉じる方がずっと楽なわけです。けれども、仲間や家族はきっと、彼が今も頑張って歩き続けていると思っている。なのに、自分が諦めてしまったら、みんなを裏切る事になってしまう。彼はその一念で、朦朧たる意識の中、数日に渡って山を下り続けるのです。 荒れ狂う海や、銃で武装した部族の土地への不時着も危険ですが、彼はある時、砂漠のど真ん中へ墜落してしまいます。飲まず食わずで数日間を過ごした、この砂漠での体験記は本書の中心に置かれていますが、これは実に凄絶なものです。しかし彼は、自分達を救ったリビアの貧しい遊牧民の行動に、人種も言語も差別も何もない事を発見します。彼は章の最後で、この、名も無い遊牧民に呼びかけます。素晴らしい文章なので、一部引用しておきましょう。 “きみは一度も、ぼくらの顔をしげしげと見つめはしなかった、そのくせきみは、ぼくらを見知ってくれた。きみは愛すべき同胞だ。だからぼくの順番にぼくは、きみを、あらゆる人間の中に見知ろうと思う。(中略)あらゆるぼくの友が、あらゆるぼくの敵が、きみを通ってぼくの方へ向かってくる、ためにぼくは、もはや一人の敵もこの世界に存在しなくなる。” |