“天才・梨木香歩が壮大なスケールと繊細な感性で描く傑作ファンタジー”

裏庭(新潮文庫)

 梨木香歩

 かつて英国人一家の住んでいた町はずれの洋館。高い塀で囲まれた庭は近所の子供達の遊び場になっていたが、この家では代々、庭師の役目を負った者が“裏庭”と呼ばれる異次元の世界を管理していた。一方、鍵っ子の孤独な少女、照美は、ひょんな事からこの洋館の秘密を知り、広大な裏庭の世界へ入ってしまう。児童文学ファンタジー大賞を受賞した本書は、スケールの大きな異世界の冒険ファンタジーでありながら、主人公の両親、そのまた両親の三代にも渡る因縁関係や、今は英国に住んでいるこの洋館の持ち主など、様々な人間の運命が一つにより合わさってゆくという、複雑で、力強くて、感動的な小説になっています。奔放なイマジネーションと、繊細で振幅の大きい感情描写も特筆もの。

 この本の作者、梨木香歩は、英国で児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事していて、特に『西の魔女が死んだ』は、児童向けお勧め図書にもよく挙げられていますが、読書好きの間でも幅広く読まれている作家ではないでしょうか。先日、読売新聞に女優・小西真奈美と作家・村山由佳の対談が載っていましたが、二人とも『西の魔女が死んだ』を好きな本だと公言していました。実を言うと私も、併録されている『渡りの一日』と共にこの作品の大ファンで、大いに泣かされたものです。

 私が梨木香歩を知ったのは、まず、出久根育と組んだ絵本のシリーズでしたが、それら傑出した作品群からも窺える通り、およそ物語の書き手としては名手と呼びたいような、比類なきストーリーテリングの才を備えた作家だと思います。作品はどれも、すこぶる緻密に構成されていて、結末や展開をあらかじめ意図せぬまま書き進めるというスティーヴン・キングや夢枕獏の伝奇的小説とは違い、前もって練りに練られた物語という印象を受けます。周到に巡らされた伏線の数々が、次々とその効果を発揮してゆく所は圧巻ですね。もっとも、同じく技巧的な作劇が玄人筋に受けている宮藤官九郎という人気脚本家がいますが、彼によると、全てを意図的に構成している訳ではなく、書いている内に自然と何もかもが繋がってゆくそうです。

 崩壊寸前の裏庭の世界で、主人公はまず、三つに分裂した藩をめぐってヒントを集め、地底にある根の国へ降りてゆき、そこから、クォーツアスと呼ばれる巨大な山の頂を目指す。そこで主人公は、バラバラに解体された世界を再び統合させる事で、自らも現実世界への帰還に成功する。ファンタジーの基本形を踏襲したような、非常にシンプルで無駄の無い構成をとりながら、そこに内包されている世界のなんと豊穣なこと。そして、すべてが何と有機的に連関し、呼応しあっている事でしょう。あらゆる物事が、何かしら現代社会のメタファーとなっていて、なおかつ、作品中の現実世界と裏庭世界の間で、各事象が緊密な結びつきを見せている。そのような複雑で、かなりロジカルに組み立てられてもいる物語世界を、著者は、日本人には難しいと言われていた西洋風ファンタジーの体裁に則って描き、そこに、竜や、片子や、吟遊詩人、餓鬼、巨大樹、手なし子、人柱といった、内外の民話やおとぎ話でお馴染みのモティーフを、現代的にアレンジして登場させます。

 バラバラになったものを再び統合するという図式は、裏庭世界の再生に限らず、主人公の家族や友人、屋敷の所有者などの人間関係をはじめ、この小説のあちこちに出てくる共通イメージですが、私にはむしろ、自分の中の利己的な考えや他者に対する憎悪との格闘、そして無条件の赦しという、主人公の内面的な問題が印象に残りました。主人公が激しい憎悪の感情を制御できず、惨事を招いてしまう場面もありますが、不器用な思春期の少女が、他者の立場や考え方というものを少しずつ理解しはじめる所を、この小説は大変に魅力的に描いていると思います。例えば私の好きな、こんな場面。

 恐ろしげな根の国を一人ゆく照美、そこへ突然、親友・綾ちゃんによる自分に向けられた辛辣な陰口が響いてくる。幻聴だと知りながらも、それは真実かもしれないと傷付く照美。しかし彼女は、この不思議な世界の中で横たわっている内、新しい感情に打たれます「ああ、でも、私はずっと綾ちゃんの友達でいよう。綾ちゃんが私をどんなに軽蔑していても、私自身は綾ちゃんの友達であることをやめたりはしない。だって、綾ちゃんは私に本当によくしてくれた。それは本当に本当のことだもの。私は綾ちゃんのおかげでどれだけ救われたかわからない。私は綾ちゃんが好きだ。綾ちゃんのためになることなら何でもしてあげよう」。

 人を赦す、受け入れる、という行為の、一つのとても美しい形がここに示されているようです。小説が、それもファンタジー小説が、人間のこういう側面を丁寧に描く事が出来るというのは素晴らしい事ですよね。梨木香歩の小説は、いつもこういう描写に満ちあふれています。『丹生都比売(におつひめ)』『春になったら苺を摘みに』『エンジェル エンジェル エンジェル』など、他にも多くの作品が出版されていますが、また読んでおられない方にはやはり『西の魔女が死んだ』か、希代の個性的傑作『家守綺譚』『村田エフェンディ滞土録』辺りがお薦めです。それと絵本、出久根育と組んだ『ペンキや』、木内達朗と組んだ『蟹塚縁起』はどちらも素晴らしい作品ですので、良かったら当サイトの絵本コーナーもご参照下さい。

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