関係の冷えきった若い夫婦。毎晩一時間だけ実施される停電の間、お互いに隠し事を告白しあうゲームをはじめた事から、彼らの感情に微妙な変化が訪れる。冒頭に置かれたこの表題作、夫婦の心情の変化は思わぬ側面に影響を及ぼし、最後は皮肉なひねりが効いているというか、少し意表を衝かれる感じも受けます。全部で九篇、どれも一見淡々と情景を綴ってゆくように見えて、その実、かなり精緻に組み立てられた作品のよう。 日本版ペーパーバックとも言える新潮社クレストブックスは、味のある装丁と個性的なラインナップで本好きの間でも人気のシリーズですが、その中からいち早く文庫化されたものの一つが本書です。ジュンパ・ラヒリは、カルカッタ出身ベンガル人の両親のもとにロンドンで生まれ、幼少時に渡米したという若い女流作家で、新人としては異例のピューリッツァー賞に輝いた才人。 本書は、微妙な叙情性と瑞々しい描写に溢れた味わい深い短編集で、どの作品もドラマティックな起承転結がある訳ではないのに、何かしら引き込まれてしまう不思議な魅力に満ち溢れています。主人公は大抵、異国で暮らすインド系の移民か、最初からインドを舞台にしているかで、それが独特のムードを醸している事は確かですが、こういう地味な内容の作品が文学賞を総なめにするというのは、どことなしに嬉しくなる話ですね。 原書の表題作である『病気の通訳』も、さりげないようで実は鋭い人間観察に立脚したユニークな作品で、こちらもO・ヘンリー賞を受賞。やはり皮肉のスパイスが効いた、少々意外な方向へ持ってゆかれるようなラストが印象的ですが、この作家の美点はむしろ、ナイーヴな優しさと情感にあるのかもしれません。『ピルザダさんが食事に来たころ』は、アメリカ在住の少女が、時々家に来るバングラデシュ出身の客を通して、大切な人が遥かな異国にいるという事と、遠い人を想う気持ちを理解できるようになってゆく話です。 特に私が感動したのは、最後の短編『三度目で最後の大陸』。主人公はアメリカに住む移民の男性で、作者自身の出自と大変似ていますが、彼が新しい国に慣れてゆく過程で、どうにも他人という感覚しか持てなかった新妻と少しずつ心を通わせてゆく様に、胸の中がほんのりと暖かくなります。最後の主人公の言葉は大変に力強く、熱を帯びたもので、これは正に作者自身の心情吐露ではないでしょうか。「なるほど結果から言えば私は普通のことをしたまでだ。国を出て将来を求めたのは私だけではないのだし、もちろん私が最初ではない。それでも、これだけの距離を旅して、これだけ何度も食事をして、これだけの人を知って、これだけの部屋に寝泊まりしたという、その一歩ずつの行程に、自分でも首をひねりたくなる事がある」「息子が落胆したとき私は言ってやる。この俺は三つの大陸で生きたのだ。おまえだって越えられない壁があるものか」。 |