“穏健派の記者が、正義に目覚め始める。静謐で柔らかい、タブッキの最高傑作”

『供述によるとペレイラは……』

 アントニオ・タブッキ  訳:須賀敦子 (白水Uブックス)

 1938年、ファシスト政権下のリスボン。小さな新聞社に勤める文芸欄の主任記者が、たまたま関わった若い男女によって運命の岐路を迎える。イタリアの現代作家、タブッキの最高傑作とされる中篇小説。

 訳者のあとがきには、「タブッキの作風について評価を保留していた批評家たちも、本書には賞讃を惜しまなかった」とありますが、私も含め、同じ感想を抱いた人は多いのではないでしょうか。正直な所、私にとってもタブッキはどこか捉え所のない作家で、「幻想的でよく分からない小説を書く人」というイメージがありました。まるでラテン・アメリカのマジック・リアリズム小説を思わせる処女作『イタリア広場』は面白く読みましたが、これもタブッキの作風としては例外と言えるでしょう。

 本書は、最初から徹頭徹尾リアリズムで文章も平易。なおかつ、リーダビリティやストーリーの強さもあって、読み始めてすぐに他のタブッキ作品とは違うと気付きます。唯一、「供述によるとペレイラは」「〜と供述している」という、供述書を思わせる報告調の文体だけが、タブッキらしい技巧的なスタイルと言えるでしょうか。

 主人公のペレイラは決してヒロイックな人物ではなく、「政治には興味がない」と一貫して主張しながらも、自分でも動機がよく分からないまま反動的な若者達をかばい、非人道的なファシスト政権や、愛国主義的な態度を求める警察や上司に対する嫌悪を、新しい自我に先導される形で表明しはじめます。日和見主義的な文学記者が正義に目覚めてゆく過程を描きながら、筆遣いは非常に丁寧で、タッチはほとんど柔らかくさえあります。

 日常の情景や人の所作を丹念に描く、その落ち着き払った忍耐強い筆致に、表面的な比較は良くないと知りつつも、私は村上春樹のそれを連想しないではいられません。そう考えると、地味で大人しい一個人が、巨大な暴力装置たる権力に立ち向かうという構図、そこにも村上春樹の影響(といって悪ければ共通点)を見ないのは難しいです。

 各部の細やかな描写に独特の深い味わいがあり、読後に深々とした余韻を残す点も、読書好きにたっぷりと愉悦感を与える一方、タブッキのポルトガル文学研究者としての一面も発揮されています。又、これも読書好きの間で人気のエッセイスト、故・須賀敦子の翻訳で読めるのも嬉しい所。

 本書を気に入った方には、同じく平易で読みやすい『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水Uブックス)もお薦め。こちらはストーリー性が薄く、主人公が夢か幻想の中で、色々な人に会って話をするだけの中篇ですが、やはりポルトガルを舞台にしていて、何気ない中にも滋味豊かな会話が繰り広げられる点、筆致が丁寧で感触が柔らかい点で本書にも通じます。村上春樹的な雰囲気がある所も共通。

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