最初に断わっておきますが、この本は小説ではなく、漫画です。それでもここでご紹介するのは、当コーナーがコミックの欄を設けていない事と、本書が小説並みに読み応えのある作品である事、ハードカバーの単行本上下巻で出版されていて、書店でもよく小説の棚に陳列されている事によります。 読み始めてすぐに連想するのが、さくらももこの『ちびまる子ちゃん』。若い女性が身の回りの日常を描く、ユーモラスなエッセイ漫画という点は似ています。太い線とこってり塗られた黒が特徴的ではありますが、作画や語り口も普遍的で分かり易く、漫画大国ニッポンの読者にも違和感なく読める内容と言えるでしょう。ただし、80年代前後のイランにおける日常は、日本のそれの比ではありません。著者の少女期はイスラム革命、イラン・イラク戦争と、イランにとっての激動の時代と見事に重なります。知人や親族の投獄、処刑、街中での大量虐殺、爆撃。コミカルな描写に笑わせられたかと思うと、次の瞬間には背筋が寒くなり、衝撃を受ける事も少なくありません。 国内情勢にたまりかねた両親の計らいで著者はオーストリアに出国し、下巻ではウィーンでの青春時代が描かれます。平和で豊かな筈の西欧で、著者は恋愛や人種差別などの新たな問題と直面し、不安や孤独、虚無感に悩まされますが、彼女はそれを、一歩引いたシニカルなユーモア・センスと鋭い洞察力、時折あらわにする激情を織り交ぜて描いていて、読者の心を揺さぶります。平静な気持ちでは読めない箇所も多いですが、あまりに切なく、ドラマティックな上巻のラストや、悲惨な出来事が続いた後、神の幻影に向かって激しい言葉で「二度と現れるな」と怒りをぶつける場面は、たまらない気持ちにさせられます。しかしながら、社会や他者を批判するだけではなく、自分の言動や過ちとも真正面から向き合い、自身の精神的成長も描いている所も本書の素晴らしさの一つ。新たな希望を胸にフランスへと旅立つ力強いラストは感動的です。 著者は現在パリ在住。イラストレーターとして新聞や雑誌で活躍し、子供向けの本も多数出版しているとの事。世界12カ国で出版された本書はベストセラーとなり、ニューヨーク・タイムズをはじめマスコミなどから多くの賞を受けるなど、絶賛をもって迎えられています。日本でももっともっと話題になって、広く読まれて欲しい本です。 |