フランス文学の名作にしてスタンダールの代表作、『赤と黒』の新訳版。文豪による古典というイメージに、私などは少し敬遠する感じもあったのですが、読んでみてその面白さにびっくりしました。このリーダビリティの高さには、野崎歓の分かりやすくモダンな翻訳もひと役買っているのでしょうが、そもそもの語り口やストーリーにも意外にエンタメ精神があってスリリングです。 材木屋の息子で田舎者の主人公ジュリヤンが、持ち前の記憶力と気位の高さによって上流社会で成功してゆくという話で、実際にあったという痴情事件から発想されたもの。その成り上がりの成功談は山あり谷あり、後半の急転直下まで、皮肉っぽくも生き生きとした筆致で活写されています。 フローベールの『ポヴァリー夫人』もそうですが、あらゆる登場人物にシニカルな牙を向ける辛辣さは、フランス文学の伝統なのでしょうか。ただこれは、夏目漱石にも同じ傾向がある事を思い出しました。何せ漱石に至っては、小さな子供や動物、虫まで擬人化してバカにするくらいですからね。 本作が面白いと思うのは、一応ジュリヤンという主人公がいながら、周辺人物の心理描写もほとんど等価に描写される点で、それによってあらゆる人物の内面が相対化される印象も受ける所。さらに、著者による地の文がメタフィクション的に盛り込まれ、小説の世界観が不思議な様相を呈するのも独創的です。 このジュリヤンという人物は、上流階級を軽蔑し、世間への復讐みたいな形で貴族の女性たちを誘惑するわけですが、発表当時は、何を考えているのか分からない不気味な人間と受け取られたようです。しかし、今の読者にとってはむしろ率直で、ある種の共感も覚える人物像ではないでしょうか。 彼はプライドが高く、猜疑心も非常に強い一方、心酔した相手には素直に敬意を抱くし、弱者を救おうとする道徳心も持ち合わせている。ゲームのように狡猾に女性を誘惑しても、結局は相手を心から愛してしまい、振り回された挙げ句に事件まで起こす始末。現代の読者の目には、むしろ人間臭いキャラクターに映ります。 それが読者にヴィヴィッドに伝わってくるのは、ひとえにジュリヤンのみならず、周辺人物の心の声もいちいち文章化する、スタンダールのユニークな手法ゆえでしょう。訳文の日本語も読みやすいので、文豪や古典名作に抵抗がある方にも、一度チャレンジしてみて欲しい本です。当時の政治や思想、社会の情勢も詳細かつリアルに盛り込まれ、その方面に興味がある方にもお薦め。 |