私は最初、この人の小説は敬遠していました。以前にNHKの番組『トップランナー』で森見作品の一節が朗読された事がありますが、古風な文体で綴られる少々理屈っぽい笑いのセンスが肌に合わない感じがして、興味を誘われながらも保留のままになっていました。しかし、妻が職場の同僚から借りてきたのを読ませてもらって、もう最初のページから数行ごとに大笑いさせられるに及び、いっぺんにファンになってしまったものです。 この小説は何と言うか、とても可愛らしいですね。登場人物がみんなかわいくて、愛おしいです。極度にマイペースな黒髪の乙女と、あらゆる手段を講じて彼女を追い続ける主人公の“先輩”、連作中編のような各エピソードはどれも、二人の独白を交互に入れ替える事で構成されています。他の森見作品を読んでゆくと、彼の本領は“先輩”側、いわゆる腐れ大学生の描写にあり、女性の一人称はむしろ珍しいという事が分かる訳ですが、その手法も初めてとは思えぬほど生き生きしています。同じ出来事を別の視点で描く事で生まれる面白さもあります。彼らを取り巻く摩訶不思議な登場人物達は、正に本書を恋愛ファンタジーに仕立て上げている張本人達ですが、彼らも又、怪しげでありながら、無性に可愛らしく描かれています。 物語の構成が技巧的に凝っていて、時に破天荒で、甘酸っぱいいじらしさがあって、脇役に至るまで全てのキャラクターに愛情が注がれていて、矢継ぎ早にユーモアが繰り出される。この感じは他にもあったなと思ったら、脚本家・宮藤官九郎によるテレビドラマ作品がそうでした。無闇に他人を攻撃したり突き放したりしない、朗らかな笑いのセンスは、この二人に共通する美点ですね。愛のある笑い、というのでしょうか。作品自体はちっとも似ていませんが、多くの共通点がある事は確かです。 京都を舞台にし続ける森見作品には又、この街が抱える得体のしれない深い闇の存在も感じられます。本書ではそれもファンタスティックなイメージで描かれますが、怪談寄りの作品集『きつねのはなし』などでは、この闇が不気味な口を開けている感覚が常につきまといます。そこの所が、似た系列の作家として人気があるものの、どこか思い付きめいた人工臭が漂わないでもない万城目学の小説と異なる点です。ゲーム性の勝った万城目作品とは対照的に、森見作品に登場するファンタジー的なアイテム、妙ちきりんな人物や組織は、何かしらのモデルが存在するか、もしかすると現実にあったりするかもしれない、という不思議な説得力があります。本書は07年、山本周五郎賞と本屋大賞(2位)を受賞していますが、それもうなずける愛すべき作品。 |