前代未聞! 世の中の紋切型を可能な限り収集した異色の辞典文学

紋切型辞典』 (岩波文庫)

 ギュスターヴ・フローベール  訳:小倉孝誠

 いやあ、スゴイです。何が驚いたって、辞典文学などというジャンルが存在するのにも驚きましたが、本書はなんと世の中の紋切型を蒐集、分類するという前代未聞のぶっとんだ辞典文学、今風に言えば“ベタ辞典”とでもいった異色作品なのです。著者は『ボヴァリー夫人』のフローベール。

 読んでみると、タイトルのイメージとは少し異なる感触もあるのですが、著者によれば、「アルファベット順に、可能な限りすべての主題について、人前でこれさえ言えばよい、それだけで礼儀をわきまえた人間になれる、といった文句が並んでいます」との事。

 各語句に対する説明文には、偏見や当時の常識に対する揶揄がふんだんに盛り込まれている印象ですが、これも著者によると全てが引用で、著者自身による文章は一切含まれないと述べています。いわばコラージュです。それでいて痛烈な風刺精神を感じさせる所は、さすがあの『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールですね。

 内容的には当然、著者の同時代である19世紀フランスの社会常識や流行が槍玉に上げられているので、現代の日本人には分かりにくい部分も多いですが、そこは訳者による細かい注釈がフォローしてくれています。むしろ、現代の感覚にも通ずる記述でクスっと笑える箇所も少なくありません。解説によれば実は本書、未完となった小説の一部を成していた原稿だったそうですが、こんな辞典が組み込まれた大作小説というのもそれはそれでユニークなアイデアで、是非読んでみたかったですね。

 一つだけ言わせてもらえば、この訳では各語が日本語のアイウエオ順に並べ替えてありますが、できれば原書通り、原語のアルファベット順の方が著者の意図に沿った訳になったかもしれません。

 ちなみに当翻訳以外では平凡社ライブラリーのものもありますが、こちらは古い日本語訳によくある、やたらと小難しい文語を駆使したもので、私はお薦めしません。いつも思うのですが、一般的な日本人が使わない晦渋な言葉ばかり使った所で、今度は翻訳の翻訳が必要になり、これでは何のための翻訳なのか分かりません。それと、日本語訳が異なるため、収録の語順もまた違っています。

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