社会主義の嵐が吹き荒れるチェコスロヴァキア。共産党の思想に熱を上げる大学生ルドヴィークは、持ち前のシニカルな性格から、彼女に送ったはがきで党の思想を茶化してしまう。冗談で書いた、たった3行の文章によって、党も大学も追放され、人生を狂わされてしまったルドヴィーク。映画化もされた『存在の耐えられない軽さ』が有名な、チェコの作家ミラン・クンデラの長編。 ともすれば重苦しくなりかねないこの物語を、そこはかとないユーモアと多彩な文学的手法で生き生きと描き出すクンデラの手腕は見事。著書『小説の技法』でも触れているように、彼は構成や技法に凝るタイプの作家で、本書でも各章に別の登場人物を設定し、多様な視点と価値観で当時の社会を活写しています。それでいて、実験的な手法に傾きすぎたり、無味乾燥な難解さに陥る事なく、情感豊かに登場人物の人生模様を描き出していて秀逸。 本書で顕著なのは、立場の異なる(時に対立する)人物を描きながら、それぞれを悪人とは捉えず、ある時代、ある状況に置かれた人間がどういう態度を取ってしまうかという可能性に視点を置く著者の姿勢です。彼は、まだ社会経験もないただの学生が、党の執行部という重責を担い、不当なまでに早く一人前の大人としての扱いを受けた時、どうならざるを得ないか、その心理的背景や葛藤に着目します。 ルドヴィークの自問自答は、あらゆる時代のあらゆるタイプの人々、あらゆるケースで当てはまるものでしょう。冗談のつもりではあったとしても、実はあのはがきに書いた3行に、隠れた本音が透けてはいなかったか。盲目的に熱を上げていただけで、本当に自分は、共産党の思想に心から共鳴していたのだろうか。自分は、ある特定の環境に置かれ、状況に流されて、特定の性格、特定の役割を演じていただけではないのか。 こうなると読者には、男女を問わず、敵味方を問わず、どの登場人物にも著者の心情が投影されているように見えてくるのです。さらに物語の核心は、真っ向から対立しているかに見えたキリスト教と共産主義の各陣営の、あくまでも人間として共通する何かにまで迫ってゆきます。 こう書くと重厚な歴史小説のように思えますが、物語はあくまで個人的な、どこまでも些細でプライヴェートな視点で描かれていて、時代も国も違う私達が読んでも、ごくリアルに感じられるように書かれています。細部は人生への省察に溢れ、思わずはっとさせられる文章にぶつかる事も。親しいと思っていた友人が疎遠になってしまった時、孤独を感じた登場人物の一人はこう語ります。「孤独を宣告するのは、敵ではなく友である」。私も含め、こういう感情に覚えのある人は多いのではないでしょうか。 |