R・シュトラウス/アルプス交響曲

概観

 リヒャルト・シュトラウスは、それこそ自分の生涯からニーチェの哲学書まで何でも音楽にしてしまう無茶苦茶な作曲家で、人間的にも「俗物だった」と言われているが、この曲は本当に登山をしているような面白さがあって、私は好きである。指揮者やオーケストラの腕を確かめる格好の素材でもあり、ついコレクションが増えてしまいがちな曲。

 イタリアの指揮者はシュトラウスがお嫌いなのか、シノーポリのような例外を除いてあまり録音していないが、この曲もアバド、ムーティ、ジュリーニ、シャイー、パッパーノ、ガッティとイタリア人は軒並み敬遠。これだけたくさんのディスクが出ていて、誰もがレコーディングしている曲にも思えるが、何でも屋に近かったバーンスタインやオーマンディ、ストコフスキーが録音していないのも面白い所。

 意外に良い演奏に恵まれない感じもあり、私などは世評の高いカラヤン盤やヤンソンス盤各種も、あまり面白いとは思わない。個人的なお気に入りはケンペ/ドレスデン盤、メータ/ロス・フィル盤、ブロムシュテット盤、ティーレマン盤、小澤盤、ビシュコフ盤、P・ジョルダン盤、ロト盤、ネルソンス/ボストン盤。

*紹介ディスク一覧

71年 ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン 

75年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

80年 A・デイヴィス/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

80年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

83年 プレヴィン/フィラデルフィア管弦楽団

85年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

88年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団

88年 アシュケナージ/クリーヴランド管弦楽団

89年 メータ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

89年 デ・ワールト/ミネソタ管弦楽団

89年 プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

90年 朝比奈隆/北ドイツ放送交響楽団

91年 朝比奈隆/オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ

92年 バレンボイム/シカゴ交響楽団   

93年 シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン

96年 インバル/スイス・ロマンド管弦楽団

96年 小澤征爾/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

97年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団

98年 マゼール/バイエルン放送交響楽団

00年 ティーレマン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

02年 ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 

07年 ルイージ/シュターツカペレ・ドレスデン  

07年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 

07年 ビシュコフ/ケルンWDR交響楽団 

09年 P・ジョルダン/パリ国立歌劇場管弦楽団  

10年 ウェルザー=メスト/バイエルン放送交響楽団  

10年 デ・ワールト/ロイヤル・フランダース・フィルハーモニック 

10年 ネルソンス/バーミンガム市交響楽団   

14年 ナガノ/エーテボリ交響楽団   

14年 ロト/バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団  

16年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団   

16年 A・デイヴィス/メルボルン交響楽団   

17年 ネルソンス/ボストン交響楽団   

19年 V・ユロフスキ/ベルリン放送交響楽団  

22年 小泉和裕/名古屋フィルハーモニー交響楽団 

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“豊かな音楽性でスコアのあらゆる要素を音にした、ケンペの代表的名盤”

ルドルフ・ケンペ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン 

(録音:1971年  レーベル:EMIクラシックス

 ケンペは同オケとR・シュトラウス作品を網羅的に録音している他、同曲にはロイヤル・フィルとのディスクもあり。打楽器を伴うトゥッティが放送録音並みに歪むのは残念だが、混濁は目立たず、ディティールも明瞭にキャッチ。朗々たるトランペットの高域やホルンの強奏の抜けもよく、聴きやすい音ではある。ティンパニの打音も、皮の質感を生々しく捉えて粒立ち良し。

 作曲家ゆかりのオケ&指揮者だけあって、矜持にあふれた豊かな音楽性は素晴らしいもの。必ずしも描写的なスペクタクルを追求した演奏ではないが、スコアのあらゆる要素がくっきりと余す所なく音にされていて、物足りなさはない。むしろ内的充実感の漲る、聴きごたえのある演奏。弦のみずみずしいフレージングにもケンペの美点が現れている。

“メータ&ロス・フィルの魅力全開、総天然色のアルプス交響曲”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1975年  レーベル:デッカ)

 R・シュトラウスの主要作品を録音している当コンビの一枚。メータは後に、ベルリン・フィルとも同曲を録音している。明快を極めたメータの棒の下、艶やかで豊満な響きをホール一杯に充溢させるロス・フィルの力演を聴いていると、ジュリーニの登場を待つまでもなく、彼らはこの時点で一流オケと言って良かったのではないかと感じられる。

 正に総天然色の快演だが、性急なテンポを採用しつつも表現の彫りが深く、《登山》の生気溢れるダイナミックな活力は他で聴けない素晴らしさだし、《道に迷う》などフーガ的な部分のスリリングな盛り上げ方も息を飲むばかり。再録音盤よりメータの美点が遥かによく出ている演奏で、個人的にはこの曲のベストに推したいディスク。唯一気になるのは、牧場のカウベルがチリンチリンとおもちゃみたいに聴こえる所か。

“ニュアンス豊かで生気に溢れ、見事なソノリティで一貫”

アンドルー・デイヴィス指揮 ロンドン・フィルハーモニ管弦楽団

(録音:1980年頃  レーベル:ソニー・クラシカル)

 LP時代に国内盤が発売されず、海外でもずっとCD化されなくて長らく入手困難だったものです。録音データは不詳で、80年代初頭のレコード芸術誌に輸入盤の発売情報が出ていてデジタル録音ですから、恐らく80年頃の録音。A・デイヴィスのシュトラウス録音は、トロント響との《英雄の生涯》、歌曲とアリア集(ソロはエヴァ・マルトン)、カナワ&ロンドン響との歌曲集、ロイヤル・オペラとの歌劇《ばらの騎士》、メトでの歌劇《カプリッチョ》(映像)の他、メルボルン響との管弦楽曲シリーズもあります。

 当コンビのディスクは少なく、他にシュターデとのマーラー歌曲集、ショスタコーヴィチの第10番しかありませんが、A・デイヴィスはグラインドボーン音楽祭の音楽監督時代にずっとこのオケと演奏していて、ベルクの《ルル》やチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》の他、ロッシーニ、ヤナーチェク、ドビュッシーなどオペラの映像ソフトが内外でDVD化されています。

 彼は細部をニュアンス豊かに処理して、演奏全体を生き生きと息付かせる指揮者で、その美点はここでも遺憾なく発揮されています。特に、複雑なテクスチュアを見事に整理し、バランス良く響かせる才覚は卓抜。金管を中心に造形が崩れがちな曲でもありますが、冒頭の最弱音から金管のハーモニーをオルガンのように均質に鳴らしているのには仰天します。よくブレンドされたトゥッティのソノリティも美麗。

 一方、推進力の強いテンポで各場面を滑らかに繋ぐ構成力も非凡。唯一、《牧場》で木管楽器のフラッター・タンギングがあまり生かされないのは気になる所です。後半から《嵐》にかけてはゆったりとしたテンポで、太陽が翳りゆくさまをムード満点に表現していて見事。とにかく清新な息吹に富んだ、サー・アンドルーらしい演奏です。

“耽美的叙情と名人芸の極致、カラヤン唯一のアルプス録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 R・シュトラウスとは相性が良かったカラヤンが、晩年になってやっと録音。カラヤン初、デジタル録音初のアルプスという事でも話題を呼びました。発売当初から決定盤との評価を得ていたもので、今でもトップに推す人は多いようです。

 一聴、《日の出》のトゥッティからして通常とはかなり感触の異なる音。テヌート、レガートが徹底しているものと思われますが、《登山》の軽快な旋律もレガート気味に演奏されるので、普通とはかなり違った雰囲気にきこえます。一方テンポに関しては速めの箇所も多く、強い推進力も持ち合わせます。嵐の前の静けさの極めてスタティックな表現も他ではちょっと聴いた事のない雰囲気。《景観》の最後の部分も、単に壮麗というに留まらない、ものすごい響きがしています。

 全体に、巨匠の名人芸がで示された名演と感じられますが、とりわけ《日没》以降の耽美的な叙情に、晩年に差し掛かりつつあったカラヤンの心境が、濃厚に反映されているように思います。ただ、木管やホルンに僅かなミスが認められるのが残念なのと、オルガンのペダル音がおかしな風にきこえ、不協和な響きを作ってしまっているように感じます。

“鮮やかな音彩ながらデリカシーを欠く表現”

アンドレ・プレヴィン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビ唯一のディスク。プレヴィンは数年後、ウィーン・フィルとR・シュトラウスをシリーズ録音しており、そちらの評価が軒並み高いので当盤はほとんど忘れられた形ですが、発売当初は結構話題になりました。せっかくの稀少なコンビネーションですが、オケのパワーを抑え込んで上品な響きを作ろうとしたのか、最初のフォルティッシモからしてゴージャスなフィラデルフィア・サウンドとは一線を画す、芯のない弱腰の響きになっているのが不思議。

 録音会場のオールド・メトは、この時期のEMIが収録に使っていた場所ですが、響きがデッドな代わり、各楽器の音が鮮明に聴こえるのは利点です。直接音には滑らかな肌触りもありますが、豊麗なトーンを売りにしてきたこのオーケストラとしては、もう少し残響が欲しい所。又、ひと昔前のマルチ録音的なアプローチも、今の耳には人工的に感じられます。

 《頂上にて》のオーボエを驚くほど表情豊かに吹かせたり、その後から《嵐の前の静けさ》にかけて、速いテンポで一気呵成に音楽を進めるなど、独自の表現はありますが、全体的にはある一定の枠に収まった、ニュアンスの幅に乏しい演奏。《小川に入る》のヴァイオリン・パートなどは明らかにデリカシーに欠けると感じられ、《氷河》におけるトランペットの超高音は2度も吹き損なっています。

“正攻法のアプローチで抜群の安定感示すハイティンク。薄手に感じられる録音はやや不満”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:フィリップス)

 ハイティンク唯一の録音。少しオフ気味の距離感で収録されていて、アナログ期の録音に較べると音が薄手に感じられますが、ホールトーンをたっぷりと取り入れた潤いのあるオーケストラ・サウンド。彼のシュトラウス録音は、アナログ時代の《ツァラトゥストラはかく語りき》等の方が遥かに聴き応えがあるので、やはりデジタル初期の録音は音が薄いのかも。

 ハイティンクの指揮は、どこをとっても正当派としかいいようのない表現で、テンポもダイナミクスも過不足がなく、一切の誇張やこけ脅しを排する正攻法のアプローチで勝負。さすがに私には面白味に乏しく感じられるのですが、安定感のある棒の下、ヒューマンな暖かみに溢れた音楽を展開する立派な演奏です。

 響きがクリアで、内声の動きやソロのパートもよく聴こえてきて、音の塊をぶつけてくる旧世代のシュトラウス演奏とは一線を画します。テンポも細かく動かしているし、《森に入る》冒頭や《嵐》など、格調の高さが妙に迫力を生んでいたりするのも独特。日没以降の清澄な音楽作りも魅力的。

“暖かく、ふくよかな響きと、豊かな感興に溢れる名演奏”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 ブロムシュテットはシュターツカペレ・ドレスデンとR・シュトラウスのシリーズを録音していまが、この曲は含まれていませんでした。当コンビのディスクに共通する、暖かみがあってふくよかなサウンドが素晴らしく、デッカの優秀録音も手伝って、名盤として高く評価されました。

 端正な造形と過不足のないオーソドックスな表現というと、これといった特色のない演奏のように聞こえますが、当盤は他に形容し難いほどの名演。どこをとっても晴れやかな気分が充溢し、テンポの設定や各フレーズの表情も適正そのもの。隅々まで精緻に描き込まれたディティールも見事です。《頂上にて》の、ゆったりとしたテンポでしみじみと歌うオーボエと、続くトゥッティの有機的な響きの素晴らしさは、全編を通じての白眉と言えるでしょう。正に滋味豊かで感動的な演奏。

“速いテンポと淡泊な表情、演奏設計に難あり”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 当コンビのR・シュトラウスの管弦楽曲シリーズから。アシュケナージらしい軽快なテンポと明朗な表情で一貫した演奏で、デッカの録音も非常に優秀です。クリーヴランド管の同曲録音も稀少。

 低音をオミットしたような軽めのサウンドを用い、旋律線を入念に追いかけた流線型のスタイル。《登山》もきびきびとしたテンポで颯爽と開始します。小川のせせらぎの所はものすごいスピードで通過しますが、牧場の羊の鳴き声がかなり描写的に処理されていて、面白い演奏ではあります。ただ、作品の一面しか捉えていない憾みがあり、音を整理しすぎて対位法的な効果が表に出てこないのは問題です。

 又、《頂上にて》は普通、何らかの達成感が自然に表されるものですが、そこまでの描写が淡泊で性急にすぎるせいか、物理的な高揚の割に感動が弱く、演奏全体の設計に難があります。《雷雨》の場面に至っては、オルガン、ウィンドマシーン、ティンパニと大太鼓、そして旋律線くらいしか聴こえてこず(作曲者は他にも色々書き込んでいます)、「あれ?こんな曲だったかな」と思ってしまうような不思議なバランス。最後の部分はさすがにたっぷりとしたテンポで切々と歌い上げていますが、時すでに遅しといった所でしょうか。

“名門オケの優れた技術をバックに、いつになく雄弁なメータ”

ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ロス・フィルとの旧盤以来14年ぶりの再録音で、ホルン協奏曲第1番とカップリング。当コンビのR・シュトラウス録音は他に、《家庭交響曲》《ブルレスケ》、《英雄の生涯》、ホルン協奏曲第2番、《ドン・キホーテ》、オペラ管弦楽曲集、歌劇《サロメ》があります。特に《サロメ》のベルリン・フィルの響きは、切れば血の吹き出るがごとき壮絶なものでしたが、当盤にそこまでの張りつめた緊張感はありません。ただし、オケが発揮するヴィルトオジティが一つの魅力となっている点は、共通した感覚。

 旧盤ほどではないにしろ、メータの指揮は誠に雄弁で、全編に渡って豊かな感興が発露します。節度を保ちつつもポルタメントを駆使した、弦の濃密な歌い回しも絶妙。全体にゆったりとしたテンポ運びで、嵐の前の静けさなど、ちょっと独特の雰囲気もあります。嵐の描写は、ウィンドマシーンとサンダーマシンがかなり大きめのバランス。再び太陽が顔を現し、輝きに満ちた音でヴァイオリン群が歌い始める所は感動的です。全体にかなりソリッドで細身の響きですが、録音にもう少し柔らかさが欲しい所。

“配慮の行き届いたフレージングと豊かな歌心”

エド・デ・ワールト指揮 ミネソタ管弦楽団

(録音:1989年   レーベル:ヴァージン・クラシックス)

 当コンビはR・シュトラウスを数点録音していますが、当盤はこのコンビによる最初期のアルバムでした。デ・ワールトは後に、ロイヤル・フランダース・フィルと同曲を再録音しています。ミネソタ管のサウンドは柔らかく、ヒューマンな温もりを感じさせるもので、そのまろやかにブレンドした響きは、ほとんどヨーロッパのオーケストラかと錯覚するほどです。

 デ・ワールトの表現も誇張やスペクタクルとは無縁で、豊かな感興と歌心、フレージングへの繊細な配慮が際立っています。当盤には《13楽器のためのセレナーデ》がカップリングされていますが、そこでの鋭敏で軽妙なタッチを聴くと、デ・ワールトがもっと大編成のアルプス交響曲でさえ、このイディオムの延長線上に捉えている事がよく分かります。《牧場》の爽やかな空気感や、日没前後の澄み切った叙情の美しさも格別。これはなかなか、忘れがたい一枚と言えるでしょう。

“ウィーン・フィルの魅力全開、指揮者はデリカシー不足”

アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:テラーク)

 当コンビのR・シュトラウス・シリーズから。テンポ設定や各部の解釈はフィラデルフィア管との旧盤とそう大きく変わってはいませんが、オケの響きが違うだけでこうも印象が異なるとは驚き。《日の出》のフォルティッシモからして、ほとんど即興的とも言える弦楽群の歌い回しに魅了されます。

 ただ、音色はエレガントで美しいですが、プレヴィンの表現には、例えば音量の変化一つとっても、節目で急に数段階ヴォリュームが上がるような、乱暴な切り替え方が散見されます。これは、音楽家としての成熟とは関係がないようで、プレヴィンの体質的な音楽センスがそもそも大味なのでしょう。弦が中心となる、嵐が去ってから日没までの最後の部分は、さすがにウィーン・フィルの至芸が堪能できます。

“朝比奈にしては常識的なテンポ設定、アンサンブルに乱れも”

朝比奈隆指揮 北ドイツ放送交響楽団

(録音:1990年  レーベル:オード・クラシックス)

 CD化された朝比奈アルプスの中では最も早く収録されたものでしたが、その後ベルリンでの古い音源も発売されました。朝比奈隆は北ドイツ放送響に昔から何度も客演していて、その放送録音が一挙に商品化されたのが、当ディスクを含む一連のシリーズです。

 冒頭、音楽が明るさを増し、管楽器が山の動機を次々に吹き交わしはじめる所、各パートの出だしが全く揃わず、てんでバラバラなのにまずびっくり。しかし最初のトゥッティへ向かうクレッシェンドの勢いはすさまじく、重戦車が突進するような迫力があります。滝や牧場の部分では、室内楽的ともいえる精緻な合奏力が光りますが、ある程度仕方がないとはいえ録音のバランスが悪く、金管や打楽器が突出する割に、弦が引っ込んで聴こえるのは難点。

 他の朝比奈盤と違ってテンポが常套的で、むしろ速いテンポで進めている部分さえありますが、頂上到達直前の超スロー・テンポに、思わず「出た〜!」とのけぞってしまいました。最も、そのすぐ後のオーボエ・ソロはかなり駆け足ですが、《頂上にて》ではほぼ全般的に巨匠風の歩みが保たれています。又、全曲に渡って音の歯切れが良く、表情が溌剌としているのも特徴。

“隅々まで巨匠風の表現ながら、全ての音符に心が通う”

朝比奈隆指揮 オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ

(録音:1991年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 朝比奈アルプスはこれが最初に発売されたものですが、演奏会では昔から取り上げていた曲目で、かくいう私も中学生の時(84年)、大阪厚生年金会館で聴いた事があります。当盤で演奏しているのは手兵の大阪フィルではなく、全国のプロ・オーケストラ選抜メンバーによる臨時編成団体という事ですが、それがどういうイベントで、具体的にどのオケから選抜されているのか、ライナーに全く説明がないのは困ります。

 さらにはどこにもライヴ録音である旨の表記がなく、拍手もカットされているので、客席のノイズとライナーノートの内容から推測する以外に、当盤がライヴ収録であると判断できるデータが全くありません。ついでに書いておくと、録音スタッフの名前も載っていません。

 演奏は安定感抜群の堂々たる歩みの中、あらゆる音符に気持ちを通わせたもので、細部処理の律儀さは特筆に値します。特に前打音や装飾音符、トリルなどの細かい音符がゆったりと演奏されるのが、気宇の壮大さに繋がっている印象。息の長さ、曲の捉え方の大きさにも圧倒されますが、質実剛健の一辺倒ではなく、音色が艶やかに磨かれ、テンポも必要に応じて切迫した調子が採られています。

 全てが巨匠風という異色の表現にも感じられますが、考えてみればこれこそが正統派なのでしょう。《山の牧場》などは相当に遅いテンポで、ジュリーニと同様、どんなに遅くとも音楽が弛緩しないのには感心します。臨時編成とは思えないほどオケが好演していて、特にソロの味わいは絶品。

“全体の流れを重視し、息の長いフレージングで音楽を作るバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1992年  レーベル:エラート)

繫げて息の長いフレーズを作っていて、流線型の仕上げ。

 《登山》も生き生きと感興は発露されるけれど鋭利というよりは流麗。ティンパニだけが、アクセントを効かせる感じでしょうか。輝かしくも明朗、よく磨かれた純度の高い響きは魅力的で、艶やかさや潤いにも欠けていません。《頂上にて》のオーボエ・ソロも雄弁で、歌謡的な表現。描写的な方向にはあまり行かないですが、《嵐》だけは打楽器とウィンドマシーンの効果が強調されています。《日没》における、粘性の強い、弦の耽美的なカンタービレはバレンボイムらしい所。

“伝統あるドレスデンの響きを活かしつつ、独自の表現を追求”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1993年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 R・シュトラウス・シリーズの1枚で、ゼンパー・オーパー(歌劇場)でのライヴ録音。当コンビは《英雄の生涯》《ドン・ファン》、バレエ《ヨゼフの伝説》の他、歌劇を数作録音しています。響きが若干浅めでデッドなのが残念ですが、シノーポリらしい響きの透明度は保たれており、他の演奏ではあまり聴こえない木管やハープの細かい動きも、時折かなり鮮明に耳に入ってきます。

 シノーポリは分析的で怜悧な演奏をする人と思われがちですが、実際には作品の背後にある精神性に到達せんと奮闘する、魂の芸術家でもありました。生前のインタビューでよく触れていたように、彼は楽譜に書き込まれた発想標語や演奏指示のコメントにこだわり、その解釈を実際的な表現へ最大限に反映させます。その結果、彼の演奏には普段私たちが聴き慣れたものとは違うテンポや音のバランスが頻出し、多くの人に奇異な表現と感じられる事にもなります。

 ドレスデンでの一連の録音は、かつてほど歪つな造形を行っている演奏は少なく、音楽の自然な流れを生かすようになった傾向を感じます。この曲の場合も、作品のスペクタクルな面を強調しない、むしろ地味な演奏という印象も受けますが、滝の描写やフーガ的な部分などでの、新ウィーン楽派にも繋がってゆきそうな緻密な音処理はシノーポリの独壇場。

 小川のせせらぎでは弦のプルト数を減らした上に目立って弱く歌わせたり、太陽の主題がトゥッティで奏される《景観》をものすごく遅いテンポで始め、《嵐の前の静けさ》に入るまでを速いテンポで一気に駆け抜ける辺りは、独創的な解釈。さらに嵐が去って太陽が再び顔を出す所で、通常自然に表される感動ではなく、むしろアンニュイな疲労感が強調されるのは独特の読みと言えるでしょう。歴史あるドレスデンのオケの、美しくまろやかなサウンドも魅力。

“寒色系だが瑞々しいサウンド、極めて端正なアプローチ”

エリアフ・インバル指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:デンオン)

 R・シュトラウス・シリーズの一枚。概してインバルのデンオン録音は、距離感を遠めに設定したオフ気味の音像が特徴ですが、残響音をたっぷり収録していて、耳に柔らかく潤いのあるサウンドになっています。余分なカロリーの全くない、細身のクールな音作りは相変わらずで、弦の響きに厚みがないので室内楽的にも聴こえます。音色自体は終始みずみずしい美しさを保っていて爽快。

 演奏は、知性が勝った客観的なアプローチ。快調なテンポで何の苦もなく足を運んでゆくので、技術的な難所もスリリングな印象を与える事はありません。どこにも誇張が見られない、すっきりと整理された演奏ですが、一つだけ、《嵐》で使用されているウィンドマシーンが、音量のバランスが大きい上に距離感も近く、違和感を覚えました。

 かつては技術力に疑問符を付けられた事もあるスイス・ロマンド管ですが、ここに聴く演奏は、テクニックの面でも音色の面でも、一流といって十分通用するレヴェルにあります。管楽器の音彩は美しいし、弦も存分に歌っていて、こういう自然体の録音で聴いても不足はありません。

“溌剌と弾むリズム、滑らかなフレージングと豊かな感興に、内面の充実を反映”

小澤征爾指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:フィリップス)

 小澤はボストン響との《ツァラ》《英雄の生涯》《ドン・キホーテ》《エレクトラ》、シュターツカペレ・ドレスデンとの《サロメ》と、シュトラウス作品を積極的に録音してきましたが、同曲はこれが初でした。ウィーン・フィルの起用は歓迎される一方、ボストン響(同曲はレコーディングしていない)を振ったものも聴いてみたかった気がします。カップリングは珍品2曲、《ウィーン・フィルハーモニーのためのファンファーレ》《ヨハネ騎士修道士の荘重な入城》。

 しかしさすがはウィーン・フィル、柔らかく充実した響きが素晴らしいです。《登山》の溌剌としたリズムや、生気に満ちたアクセントも小澤らしいもの。純音楽的で奇を衒う事のない正攻法を貫きますが、フレージングの滑らかさや流れの良さ、呼吸の自然さ、感興の豊かさはそうそう聴けるものではありません。《頂上にて》の開放感とスケール、暖かみと潤いのあるソノリティも特筆もの。《嵐》も音が明快に整理され、メリハリや強弱もはっきり打ち出してヴィヴィッドな音楽作りを聴かせます。

“巧みな演出が冴える指揮者、ミスを多発するオーケストラ”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1997年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 国内盤2枚目の朝比奈アルプスで、手兵の大フィルとのライヴ録音。彼がこの曲をいかに愛していたかはライナーに詳しいですが、当盤は大阪フィル創設50周年の記念演奏会という事で、シカゴ響の首席ホルン奏者として有名な、名手デイル・クレヴェンジャーもゲスト参加しているそうです。

 最初のフォルティッシモから大フィル特有の、まろやかな暖かみのある、少々粘っこいサウンドが響きわたります。これを、関西弁のイントネーションと形容した批評家もいましたが、なぜそう聞こえるのかを考えてみるに、このオケ特有のフレージング、弱めに入ってヴィブラートをかけつつクレッシェンドする吹き方にあるのではないでしょうか。ただ、金管を中心にミスが多いのは残念で、《日没》以降も弦のユニゾンや木管、ホルンなど、入りのタイミングがなかなか揃いません。

 指揮者の方は、《登山》の前のゲネラルパウゼを長めに取って強調したり、森に入る所で大河の流れのような悠々たるテンポを貫くなど、意欲的な表現に事欠きません。超スロー・テンポの《氷河》も、近年類をみないスケール感に圧倒されますが、嵐の前の部分、これも非常に遅いテンポを維持しつつ、雷鳴が轟きはじめるやいなや、にわかに急速なテンポで音楽を煽る所、実に効果的な演出といえるでしょう。

“意外にも機能美と明快さを重視、相当に早いテンポを採用”

ロリン・マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1998年  レーベル:RCA)

 マゼールほど長いキャリアがあればメジャーな作品は大方録音し尽くしているかと思ったら、この曲はこれが初レコーディングでした。当時の手兵、バイエルン放送響とこの曲を録音できたのは良かったと思います。

 マゼールもかつてほど機能美一辺倒の音楽作りをやらなくなり、ゆったりとしたテンポでスケールの大きな表現を指向するようになっていたので、生涯に一度この曲を録音するには良い時期だった筈ですが、そこはマゼール、一筋縄ではいきません。ここでは、どこか80年代前半の彼を想起させるスポーティで明快なアプローチを採り、冒頭からスピーディなテンポを設定して淡々と音楽を進めてゆきます。

 《牧場》など、おそろしく速いテンポであっという間に通過してしまいますが、基本的に彼はやはり、句読点のはっきりした音楽をやる人。音楽の表情がどこまでもリアリスティックで、アクセントの付け方もすこぶる鋭角的です。《登山》や《小川に沿って歩む》は音楽の進め方があまりに杓子定規で、歩幅もリズムも正確すぎて登山というより行進みたい。

 オケは高音偏重と言ってもいいくらい明るいサウンドで、時に響きが軽く感じられる印象。ブラスを伴うトゥッティの充実した有機的なサウンドはさすがですが、マゼールが指揮をするとその上に華やかさが何割か増しになります。《嵐》の派手なスペクタクルは彼の面目躍如。クライマックスでは、サンダーマシンの代わりに、何か爆発音のようなサウンド・エフェクトがミックスされているように聴こえるのですが、私の空耳でしょうか。

“豪放にして繊細、すでに貫禄すら感じさせるティーレマン”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2000年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビは《英雄の生涯》《影のない女》も録音している他、ティーレマンはミュンヘン・フィルと歌曲集や歌劇《ばらの騎士》の映像ソフトも発表。当時のティーレマンは、レコード会社の売り方から受けるイメージとしては、いかにも歌劇場叩き上げの、ドイツ音楽の伝統を受け継いだ大型新人という印象でした。しかし実際の演奏をきいてみると、確かに新世代らしからぬ様式感やスケールを備えているものの、かなり繊細なセンスを持っている人というイメージが、個人的には強いです。

 冒頭から低弦をはじめとする細かい音の動きが、かなり鮮明に耳に入ってきます。ライヴなので客席のノイズが気になりますが、主部に入ってからは雄大な音響に現実を忘れます。透徹した響きながら色彩が驚くほど多様に変化し、各部の生気に溢れた表情や、小川に入る辺りの音楽的な呼吸は見事、何か貫禄すら感じます。名門ウィーン・フィルを相手に一歩も引かない堂々たる指揮ぶりには、やはり大器の片鱗が窺えると認めざるを得ないでしょう。

 頂上到達直前に訪れる、まったき静寂の絶大な効果や、嵐が来る前のデリカシー溢れる描写も聞き物ですが、雷雨の場面に入っても表現は音楽的としか言いようがなく、全くうるさくきこえません。これはちょっと、凄い演奏ではないでしょうか。

“鋭いアクセントや威圧的音響を排し、暖かい響きで作品全体を大掴みに”

デヴィッド・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 

(録音:2002年  レーベル:アルテ・ノヴァ)

 シュトラウス・ツィクルスの一環。録音のせいもあるのか、角が取れて小さくまとまった感じもある演奏で、この曲に多い、スケール感を追求した大柄な表現とはひと味違う雰囲気があります。鋭いアクセントや威圧的なフォルティッシモを排しているせいかもしれません。サウンドには暖かみがありますが、ディティールはあまり丹念に拾わないというか、オーケストレーションの面白味よりも全体の流れを重視した印象。

 ジンマンの棒は、各場面の性格をあまり明確に描き分けようとはしていない様子。透明度の高いソノリティを維持しつつ、リズムやフレージングの明晰さを極限まで追求しながら、あくまでシンフォニックにスコアを解釈した感じです。なので嵐の場面など、派手な効果は狙わない一方、腹の底に響いてくるような独特の有機的な迫力があります。滝の場面の直前、ヒステリックで急激な金管のクレッシェンドを波状攻撃のように繰り返す表現は独特。しなやかで艶っぽいヴァイオリン群も魅力的です。

“メリハリを平たくならして、ひたすらソフトに上質な音楽を志向”

ファビオ・ルイージ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:2007年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 R・シュトラウス・シリーズの一枚で、アーニャ・ハルテロスの歌唱による《4つの最後の歌》をカップリング。アルプスの黄昏の後にこの曲が続く配置は、音楽的にも繋がりがあって効果的といえます。

 メトで振った《ドン・カルロ》《ボエーム》にも感じた事ですが、この人はオペラを得意にしているにも関わらず、音楽に強い緩急を付け、ドラマティックに盛り上げる事を嫌うようです。この曲においても、テンポやダイナミクスの落差、刺激的なアクセントを和らげ、特殊な楽器法の効果やカラフルな色彩もまろやかなドレスデン・サウンドへ全てブレンドして、ひたすら柔らかで平坦な世界を作ろうとしています。そのため各場面の変化に乏しく、明確なメリハリを欠く印象。

 しかしながら流れは非常にスムーズで、格調の高い流麗な演奏にも聴こえます。面白味はないけれど、優美で上品な造形を聴かせる大人のアプローチといった所でしょうか。嵐の場面など、控えめに鳴らされるティンパニや大太鼓が、逆に遠雷のリアルな空気感を伝えていたりもします。

“随所にユニークな解釈を盛り込みつつも、豊かな感興で聴かせるヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2007年  レーベル:RCO LIVE)

 《ドン・ファン》とカップリングしたライヴ盤。ヤンソンスの同曲はバイエルン放送響とのライヴも出ています。当レーベルの特徴として、引きの距離感でホール・トーンをたっぷりと収録していて、オン気味でデッドなバイエルン盤とはサウンド面でも対照的。カウベルや金属打楽器など、オーケストレーションの効果は、マスのまろやかな響きの中で控えめに点在する感じです。 

 バイエルン盤よりも演奏時間は長いですが、こちらの方は快適なテンポ感があり、流麗で潤いのあるオケのソノリティも美点になっています。表情付けが非常に細かいのは両盤に共通で、特に当盤は極端に短いクレッシェンド、ディミヌエンドも目立つ感じ。《小川に入る》は濃厚な表情がユニークで、弦の歌いっぷりにウィンナ・ワルツのような艶っぽさが漂ったりします。全般に弦はポルタメントを用いて、艶やかに歌う傾向。

 《氷河》で思い切りテンポを落としてゆき、スロー・モーションのように全てが引き延ばされるのも面白い表現。《嵐の前の静けさ》で、旋律線をたっぷりと歌わせているのも独特です。《嵐》はすこぶる演出巧者で、寄せては返す強風の波状攻撃を緊迫感溢れるアゴーギク、デュナーミクで巧みに描写、対位法の緻密な処理で物量と立体感の双方を見事に表出しています。《日没》の澄み切った音色と、優美で繊細な歌心も魅力的。 

“細部と全体を有機的に繋げ、生彩に富んだ棒で一気呵成に聴かせる名演”

セミヨン・ビシュコフ指揮 ケルンWDR交響楽団

(録音:2007年  レーベル:プロフィル)

 《ティル》とのカップリング。当コンビは他に《英雄の生涯》《メタモルフォーゼン》《エレクトラ》《ダフネ》も録音している他、ビシュコフのシュトラウス録音にはコンセルトヘボウ管との《ドン・ファン》、フィルハーモニア管との《ツァラ》、ウィーン・フィルとの《ばらの騎士》(映像)、《炉端のまどろみ》もあります。

 ビシュコフは欧州各地のオケへの客演でもよくこの作品を取り上げていますが、スコアの解釈は完全に手の内に入っていて、全く見事なもの。全体をタイトなテンポでまとめ上げ、強靭な推進力を保って長大な交響詩のように構成する手腕に目を見張ります。それでいて細部は淡々と流れてしまう事がなく、各部の表情は生き生きと多彩に変化しているし、大胆なルバートや繊細なピアニッシモも駆使。ディティールをクローズアップする手法でなくとも、この曲は面白く聴かせられるというお手本です。

 オペラを得意とする人だけあって、細部と全体の関連性に有機的な繋がりを持たせているのはさすが。みずみずしく雄弁な旋律線も魅力的で、オケも自然体のパフォーマンスながら、技術面に不足を感じさせません。《嵐》の場面も突出するがなく、全体の流れの中にうまく位置付けられていて、ドラマティックな迫力で聴かせます。《日没》の柔らかく繊細なカンタービレは絶品で、日が落ちて辺りが寒色に染まってゆく色彩の演出も卓抜。

“入手困難ではあるが、全方位的に素晴らしい、隠れた名盤”

フィリップ・ジョルダン指揮 パリ国立歌劇場管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:naive)

 バスティーユ歌劇場でのライヴ盤。P・ジョルダンのR・シュトラウス録音は《サロメ》の映像ソフトがあるくらい、パリ・オペラ座管の同曲録音も恐らく初で、稀少なディスク。ライヴ収録だが、バスティーユ・オペラの音響はなかなか良いようで、残響も距離感も適度で聴きやすいサウンド。このレーベルは流通が小ロットなのか、当盤を含め入手困難なアルバムが多いのが難点。

 まずオケのソノリティが独特。トランペットのトップ・ノートをはじめ高音域の華やかさもさる事ながら、抜けの良いバス・トロンボーンが隈取るソリッドな低音域が明晰な響きを形成。シュトラウス作品には有り難い、全てのレイヤーが透けて見えるような分析的な表現。表現の精度がすこぶる高く、常に冴え冴えとした怜悧な音響を徹底する。

 一方でしなやかな歌心が横溢し、《登山》の主題提示がこれほど艶っぽく、粘性を帯びて歌われる事は稀に思える。小川の場面も、室内楽的な精緻さがR・シュトラウスの各オペラの世界に繋がっている。ソロ楽器が雄弁で歌謡的な一方、《頂上にて》の気宇の大きさ、明朗でのびやかなカンタービレも圧巻。《嵐》は気負いこそないが、演出巧者な語り口と見事なオーケストラ・ドライヴに思わず引き込まれる。

“速めのテンポで全体を引き締めつつ、雄弁に細部を掘り下げる饒舌の妙”

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2010年  レーベル:BRクラシック)

 歌劇《インテルメッツォ》から4つの交響的間奏曲をカップリングしたライヴ盤。当顔合わせの録音は稀少ですが、F・シュミットの《7つの封印の書》のセッション録音があります。同レーベルから出ているヤンソンス盤とは逆に、ヘルクレスザールの残響をたっぷりと取り入れた潤いのあるサウンドで、同じオケでも印象がかなり異なります。演奏自体も、このオケの自主ライヴ盤に関しては、ヤンソンス盤を大きく引き離して軍配が上がる印象。

 ウェルザー=メストは速めのテンポで流麗に音楽を運ぶのが上手く、オペラでよく成功させているその手法が生かされた印象。近年のディスクではビシュコフやルイージも同様のコンセプトと感じましたが、当盤は細部の彫琢もよく掘り下げられ、ルイージ盤のような平坦なひと筆書きには陥りません。各場面を生き生きと雄弁に描きつつ、情感を豊かに盛り込む辺りはさすがと言えるでしょう。各パートの自発的な歌心も素晴らしく、オケの表現力と音色美も十二分に示されています。

 例えば《頂上にて》はかなりのスピードで駆け抜けていますが、テンポの速さを意識させず、自然に音楽を引き締めているのは見事だし、それでいて雄大なスケールや感情の高まりも巧みに表出。《嵐》も実にシャープでスマートな造形ですが、その中にドラマティックな起伏と多彩な音響センスを展開していて、有機的な迫力に思わず息を呑みます。《日没》の伸びやかで耽美的なカンタービレも素敵。上品な性格ながら意外に饒舌だし、卓越した構成力と練達の棒さばきで描き切った素晴らしい演奏です。

“勢いのあるテンポと艶やかなカンタービレに溢れるデ・ワールト再録音盤”

エド・デ・ワールト指揮 ロイヤル・フランダース・フィルハーモニック

(録音:2010年   レーベル:A-List)

 デ・ワールト21年振りの再録音は、ベルギーのフランダース・フィル自主レーベルからのライヴ盤。彼はこの曲が得意なのか、シドニー響やN響客演時などあちこちで取り上げていますが、せっかくの新しい手兵とのシリーズが同曲やマーラーの《巨人》など、過去に録れたものの再録音ばかりなのは残念。彼のように録音の多くないアーティストこそ、もっと色々な曲を聴いてみたいのですが、どうも彼はラフマニノフの協奏曲、交響曲やサン=サーンスの3番、マーラーの4番など、重複録音が多い指揮者で困ります。

 旧盤よりオケも優秀で、指揮者も内面的進境を示した印象。テンポが速めで、前へ前へという勢いがあって音楽が停滞しないのは好印象。それでいてせかせかした足取りではなく、たっぷりとした歌謡的カンタービレに溢れています。表現が大味になる事もなく、ディティールの精緻さとスケール感を両立。音色に潤いとコク、暖かみがあるのも美点で、響きが澄んでいて奥行き感もあります。《小川に沿って歩む》の、室内楽のようなしなやかさと自発性、レガートで朗々と歌われる《氷河》も独特。

“指揮者とオケの良さは出るも、意外に正攻法を貫徹”

アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:2010年  レーベル:オルフェオ)

 当コンビがオルフェオにレコーディングを始めた頃の一枚で、《7つのヴェールの踊り》をカップリング。ライヴ収録で、熱狂的な拍手と歓声が長々と収録されている。他に《英雄の生涯》《ばらの騎士》組曲、《ツァラ》《ドン・ファン》《ティル》も録音。ネルソンスの同曲は、7年後にボストン響との再録音もあり。

 ネルソンスはなかなか演出巧者な指揮者だと思うが、R・シュトラウスでは往々にしてありがちなように、オーソドックスなアプローチ。シュトラウス作品は案外と個性を出すのが難しいようだ。無論、《登山》の生き生きと弾むリズムや強い推進力、各部を彩るみずみずしい音色センスは指揮者の若々しさがよく出た好例だが、シュトラウスの場合は老成が深い味わいに直結する事も多く、一筋縄ではいかない。

 ソノリティは素晴らしく豊麗で、透徹した見通しの良さもあって、心地よい響きが充満。ソロも合奏も、技術的には一級と感じられる。嵐の場面は巧妙に仕掛けられたアッチェレランドがスリルを煽るが、クライマックスにおける恐ろしい程の大音響、尋常でないパワーの解放もそれまでの抑制があってこそで、卓越した構成力を示す。夕暮れ以降の即興的、歌謡的な弦のカンタービレもラトル時代からこのオケの魅力だったもので、その濃密さが嬉しい。

“全体を滑らかに造形しながら、細かい音量変化や内声の処理に個性を発揮”

ケント・ナガノ指揮 エーテボリ交響楽団

(録音:2014年  レーベル:ファラオ・クラシックス)

 R・シュトラウス・シリーズの一枚。冒頭から夜明けの場面にかけては、オケの音色の均一性が強く、あまりに全てがブレンドしすぎではと心配になりますが、《登山》に入ると一変。フレージングの切れが良くなり、エッジも効いてきて、音楽の輪郭が明瞭に浮き出ます。録音のせいか、金属打楽器やカウベルはあまり強調されない印象。ディティールの緻密さはかなりのもので、繊細な合奏で聴かせる箇所が少なくありません。ヴァイオリン群のユニゾンも、しなやかさと音色の美しさが耳を惹きます。

 響きの透明度が高いので、内声の細かい動きまでよく聴き取れる事もありますが、各パートの線が細い割に艶やかな光彩を放っており、どこか新ウィーン学派にも通じるオーケストレーションに聴こえるのはユニーク。《氷河》のフーガはその好例です。アゴーギクやダイナミクスの段差の付け方は精度が高く鮮やかで、それによって全体が精細かつポップにも感じられるのは面白い所です。

 強いアタックを避ける一方で、クレッシェンドなどの漸次的な音量変化を短いスパンで多用するのはナガノらしい表現。《景観》では速めのテンポで緊張感を保ったまま、力強い棒で音楽を牽引していくのが見事です。《嵐》も抑制が効いている一方、細部の彫琢が精細。

“圧倒的なまでに精緻で透明な音響。柔らかな感触と流麗な歌心も魅力”

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団

(録音:2014年  レーベル:SWRクラシック)

 全5枚に渡るR・シュトラウス・ツィクルスから、《ドン・ファン》とカップリングされた1枚。日本盤にはオケ旧名称の南西ドイツ放送響のままで記載されていますが、音楽雑誌やメーカーの提供情報などは正式に訳した表記に変わっている方が多いです。それにしても事情があるとはいえ、ドイツやフランスの放送オケは合併しすぎで、これではオケの個性も伝統もあったものじゃありません。

 しかし演奏は全く見事。このコンビのシュトラウスは、ブーレーズやT・トーマスなど名うての分析型指揮者でさえ達しえなかったほどの明晰さを提示していて圧巻です。もうこれが極致というか、R・シュトラウスにおいては、これ以上に正確で透明度の高い演奏を行う事は不可能かもしれません。4年間とはいえ、首席指揮者を務めた関係だけあって、オケと指揮者の一体感も驚異的なレヴェルです。

 あまりに凄いパフォーマンスなので、もはや作品ごとの解釈なんてどうでもよくなるほどですが、同曲のような管弦楽が緻密に描き込まれたスコアでは、ロトの耳の良さが最大限に発揮されます。それこそ滝の描写や嵐の場面なんて、目の覚めるように精緻な響きにびっくり仰天。細部が鮮やかに照射されるのは勿論ですが、流麗な音楽の紡ぎ方も素晴らしく、柔らかな粘性を帯びたカンタービレで歌われる各ラインの魅力的な事といったらありません。

 たっぷりと養分を含んだ潤いのある響きも魅力で、それを冴え冴えとした筆致で隈取ってゆく耳の快感は、一度聴いたら病み付きになる類いのもの。レ・シエクルとの録音ではむしろハスキーで、野性味のある音響を構築したロトですが、ここでは正反対の、一流パティシエによるホイップクリームみたいな音彩で聴き手を悩殺します。意表を衝いたダイナミクスは聴かれますが、ルバートの誇張がないため、端正で爽やかな表現に聴こえるのもユニーク。

“オン気味の録音で鮮明さは勝るものの、腰が重く、肌理が粗い再録音盤”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2016年  レーベル:BRクラシック)

 《死と変容》をカップリングしたライヴ盤。ヤンソンスはコンセルトヘボウ管とも同曲のライヴ録音があります。距離感があってホール・トーンが豊富な旧盤と較べると、こちらはオン気味で残響も少なく、やや硬質な音。金属打楽器の効果などよく生かされますが、金管は角が立ってやや刺々しく聴こえます。

 演奏はヤンソンスらしく表情付けが細かいのが特徴。旧盤と違って響きが分厚く、バス・トロンボーンのバリバリという吹奏など、ブラスを中心にエッジも効いています。《登山》では弦の主題をレガートでねっとりと演奏させたり、ユニークなアイデアもあり。《小川に入る》の艶っぽい弦は旧盤を踏襲する一方、《氷河》は比較的普通のテンポに戻されています。《頂上にて》《日没》など叙情的な箇所は、豊かなニュアンスで嫋々と歌っていますが、もう少し潤いのある録音だったら音色美が出たかもしれません。

 強弱やアーティキュレーションを徹底して微細に描写しているのも旧盤と同様ですが、当盤は直接音がクリアで生々しく、より高解像度で鮮やかな写真を見る趣があります。合奏は緻密で万全、表情も生気に溢れますが、リズム面ではやや小回りがきかず、腰の重い場面も多いのは気になる所。《道に迷う》や《嵐》など、テンポで遅めで足取りが重いのは意図的な演出か、それとも指揮者の加齢によるものか。特に《嵐》は間延びする感が否めず、旧盤に顕著だった見事な描写力が消失してしまったのは残念。

“恰幅の大きさや感興の豊かさ、彫りの深さを格段に増した、ライヴによる再録音”

アンドルー・デイヴィス指揮 メルボルン交響楽団

(録音:2016年  レーベル:ABCクラシックス)

 ライヴ収録のシュトラウス・シリーズで、《ティル》とのカップリング。他に《ドン・ファン》《ツァラ》《4つの最後の歌》(ソロはエリン・ウォール)、《英雄の生涯》《インテルメッツォ》も出ています。A・デイヴィスは若い頃からシュトラウス作品をよく録音していて、同曲はロンドン・フィルとの旧盤もあり。長い残響を伴ったスケールの大きなサウンド・イメージは作品に合致する一方、意外に直接音も鮮明で、マイナー級のオケ、レーベルながら、聴き応えは十分です。

 グロッケンシュピールなど高音域の煌めきがまろやかに中和される一方、しなやかに歌う弦や、適度に角を立たせながらも柔らかくブレンドする管楽器など、ソフトなタッチが目立つ演奏。サー・アンドルーの棒も恰幅が大きくなり、スケールの雄大さや内から沸き起こる感興の豊かさも加えています。客演でもよく取り上げている曲目だけあって、構成やデッサン、ディティールの表情も手の内に入っている印象。

 どの場面も暖かみのある響きで芳醇に香り立つ一方、ヒリヒリするような緊迫感や極端なメリハリはありません。ニュアンスは豊富で造形の彫りも深く、リリカルな叙情も充溢して魅力は十分。管弦のバランスが絶妙なのもこの指揮者の美点で、ヴィブラートで朗らかに歌うトランペットも突出しません。旧盤はフレッシュな魅力に溢れた名演でしたが、当盤もゼロ年代以降の新譜では、ティーレマン盤と共に太鼓判を押したい名演。

“表現の振り幅とディティールの解像度がアップした、会心の再録音盤”

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

(録音:2017年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ゲヴァントハウス管とボストン響を振り分けた管弦楽団作品7枚組ボックスから。シュトラウス作品はいずれの団体も録音していなった曲が多く、同曲もその一つ。そうなるとゲヴァントハウス管のヴァージョンも聴きたかった気がしてくる。ネルソンスの同曲としては、バーミンガム市響との旧盤からわずか7年での再録音。

 最初のフォルティッシモから明朗かつ豊麗なボストン・サウンドが炸裂。小澤時代のチャーリー・シュレーターから、トランペットのバランスが強いのはこのオケの伝統だが、その特性は不思議と引き継がれている。かなりオーソドックスな解釈だった旧盤と較べると、随所に芝居がかった溜めや間合いが増え、表情付けはぐっと雄弁になった印象。

 細部が多彩な一方、一筆書きのような勢いがあり、速めのテンポでぐいぐい牽引する傾向が目立つ。響きが高精細なのも作品を明晰に聴かせるのに有利だが、近年はP・ジョルダンやロト、ユロフスキなど、このくらいの解像度は標準クラスになってきた雰囲気もある。思い切りの良いカンタービレや、豪放でダイナミックな《嵐》はこの指揮者の美質。

“オケの美麗な響きを生かし、緻密な描写力と卓越した設計センスで聴かせる”

ウラディーミル・ユロフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

(録音:2019年  レーベル:ペンタトーン)

 ユロフスキの同曲には、ロンドン・フィル自主レーベルのライヴ盤もあります。同コンビのR・シュトラウス録音は、《ツァラトゥストラはかく語りき》もあり。

 しなやかで解像度の高い響きを作り、スムーズにフレーズを連結してゆく流れの良い表現。細密画のような趣もありますが、オケの豊麗なソノリティは生かされています。無用な演出がないのでサクサクと進んでゆくものの、ディティールの情報量が多く、物足りなさは感じさせません。

 冒頭部分は一切停滞させず、牽引力の強いテンポと高いテンションで一気に夜明けへと持ってゆく感じ。頂点のフォルティッシモは艶やかで、柔らかく透明な響きが素晴らしいです。《登山》は音圧こそ十分ながら、歌うようなフレージングがユニーク。《頂上にて》は等身大のスケール感で、いたずらに壮大さを求めません。出力に余裕を持たせ、巧みなアゴーギクで実に美しく歌い上げてゆきます。

 前ぶれの部分からスピーディなテンポで突入する《嵐》も、周到に練られた表現。オケの艶っぽく柔軟な響きは損なわれる事がなく、やや強調されたオルガンとバスドラムの重低音が凄みを加えます。《日没》の官能的と言えるほど艶美な弦のカンタービレもすこぶる魅力的。

“全く正攻法の棒ながら、繊細な音色美とみずみずしい歌に溢れる”

小泉和裕指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団

(録音:2022年  レーベル:エクストン)

 愛知芸術劇場での500回記念定期演奏会ライヴ。小泉和裕のR・シュトラウス録音は過去に、都響との家庭交響曲がある。私は05年、当時の大阪センチュリー響と都響の合同編成でこの曲が演奏されたのを聴いたが、その時も素晴らしい指揮だったのを記憶している(大阪、ザ・シンフォニーホール)。

 当盤はこのレーベルのオケ収録でよくある、遠目の距離感で残響を豊富に取り入れたもので、強奏部で細部の解像度がややもどかしい印象。そのせいか、音楽的なメリハリが際立たず、造形の切り出しが甘い傾向もあるが、弱音部は直接音が明瞭で潤いたっぷり。柔らかく艶やかな音色は、日本のオケには珍しく感じられる。

 解釈は全く正攻法で清潔なのがこの指揮者らしいが、テンポを随所で引き締めていて筆致はシャープ。それが緊張感の維持に繋がり、合奏全体もタイトにシェイプされている。繊細かつのびやかな歌心と、各部の表情付けが堂に入っているのは常ながらで、《嵐》の有機的な迫力はその結実。オケの技量は一級で安定感もあるが、管弦のバランスと和声のピッチに関しては一部問題もあり。

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